小林正観エピソード⑯~正観氏を訴えるか?!~
松田優作さんより以前いただいたコメントです。
”・・・このブログが真実だと仮定して、小林正観氏がかずみ様にしたセクハラ行為は、刑法でいう所の強制わいせつ罪に該当すると思われ、また、精神的苦痛を考えれば、慰謝料をも当然請求できると思われます。私が疑問に思うのは、何故、セクハラ行為を受けたのに、法的手段に出ないかという事です。かずみ様に小林正観氏がされた行為は、もし事実なら犯罪であり、本人が死亡した場合でも、講演会主催者や遺族を相手に訴訟すべきでないでしょうか。法的処置をすることにより、かずみ様の言われてる事が本当であり、売名行為でないと言われる証になると思われるのですが。女性だから告訴しずらいお気持ちも、もちろんわかります。”
訴えを起こすべきか?
このことについても、もちろん考えたことでした。
当時、多少気持が落ち着いてきたとき、
これを表に出すために役割を与えられたのか?と感じる一瞬がありました。
その為に関係者でもなく、他の方に比べ被害が軽かったのか??
しかし、私が出した答えはNOでした。
(ここから続き)
さて、訴えることを想像してみます。
仕事をする時間を奪われ、この忌々しい経験を何度も具体的に話さなくてはならない・・・
金目当てだと言われるかもしれない、それこそ売名行為と言われるかもしれない。
セクハラごときで騒ぐなと今以上に言われ、挙句の果てに冤罪ではないかと言われる。
うたし会の方や関係者の方の被害も甚大ではない。そのことに私自身たえられるか?
そうです、何より、私の精神力が伴わない。
セクハラを受けて意気消沈した直後に、やっと元気になった、といってもまだ病み上がり。
ここで私の人生の大切な時間とエネルギーをあのふてぶてしい正観さんに向けたとしても、さらに傷を負うだけだと思ったのです。ウツにならなくて済んだのに、ウツにもなりかねない。
自分の力を過信するほどの、バカではない。
私にはそんな力はない。
正義感だけで動けるほど私にとっては裁判を起こすことは簡単ではなく、そして、そのエネルギーを費やしたとしても、何もなかったかのようにふてぶてしく活動をする正観さんや関係者の姿が容易に想像できたのです。
セクハラを受けた日の講演会中、正観さんの控え室に紙が一枚 無造作においてありました。こんなところに置きっぱなしで何だろう?と主催者さんと覗き込むと、正観さんに相談事をしていた方がホテルに宛てたFAXの用紙でした。大事なものなら、なくさないように・・・、と読むが、内容があまりにも意味不明で主催者さんと顔を見合わせ「意味わかる??」「全然わからない」との会話で終わりました。
あれは、わざと見えるように置いていたかもしれません。
その内容は、ある相談をしていた方が”裁判がうまくいきましたら・・・”ということが書いてあったのです。
セクハラするつもりであったとして、
あんたが訴えようとしてもね、私(正観氏)はあなたの想像もつかないような経験をたくさんしておりそんなこと痛くも痒くもないんですよ、軽くあしらえますよと・・・と臭わすようなものに思えた意外な一面だったのです。私がそう感じただけかもしれませんが、目に付くように表にして置いてあったようにも感じました。
岡本天明の自動書記によって降ろされた日月神示にはこうあるようです。
「天の叡智」日月神事/中矢伸一 より
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実際には難しいことだが、逆境は神より与えられた試練と受け止め、或いは自らのメグリ果たしの機会と受け止めて、感謝と反省と善想念で、逆境を次のレベルへ移行する踏み台と為す。これを行ってこそマコトの道にふさわしい真人といえるのである。今後もまた様々な面で世の中に荒れごとが増していくと予想される。
正念場に追い詰められる人もさらに増えてくるだろう。そうした境遇に陥ったときに、その人の真の器量が問われる。ただし、「馬鹿正直ならん」と日月神事にはある。
【よくこの神事読んでくれよ。読めば読むほど身魂磨かれるぞ、と申しても仕事よそに
してはならんぞ。臣民と申すものは馬鹿正直ざから、神事読めと申せば、神事ばかり
よんだならよいように思うているが、裏も表もあるのぞ】(『富士の巻』第十三帖)
【その時その所によりて、どんなにも変化るのが神の魂ぞ。馬鹿正直ならんと申してあ
ろう】(『日月の巻』第三十一帖)
相手が法律に触れるようなことをして平然としている場合、想念的には感謝と反省を忘れてはならないとはいえ、それはそれなりの現実的対応―訴訟手続きをとるなど―を考えなくてはならないだろう。そうしなくては、自分のためにもならないばかりではなく、相手のためにもならない。
「荒魂」を奮起させ、正道のために闘わんとする「勇」の気を発揮し、自ら傷ついても相手を諫める覚悟をもって、善に導かんとすることは、親愛に通じる厚意であると思う。
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わたくしは、真人には程遠く、
”自ら傷ついても相手を諫める覚悟をもって、善に導かんとすること”は
ブログでの告白という形でが精一杯です。それは正観さんを尊敬する方からの
投げかけがきっかとなりましたが、この方の知りたい!という想いが伝わらなければ
私はこの作業をしなかったと思います。
ブログでこの記事を書くことでさえ、始めてみればパワーのいること・・・
批判を浴びることも、思った以上の経験となり学べました。
そして、たくさんの大切なご縁ができました。
ブログでの告白にしたことを、私は良き判断、良きお導きだと感じております。
皆様、色々と投げかけてくださり 本当にありがとうございます
- 2012年03月21日 11:58 /
Comment(18)
コメントありがとうございます
松田優作
追伸です
KSZUMIさんと同じく私も以前は小林正観さんのファンでした。
ただ熱狂的なファンではなく彼の本も全部オークションで数年前に売ってしまいました。
小林正観さんの言ってる事があまりにも矛盾してる事にきずきファンを辞めてしまった頃に、KAZUMIさんのこのセクハラ記事を拝見して、妙に納得してしまった感じです。
まず小林正観さんの主張してる点をまとめます。
○苦しみを無くすために、「思い」をなくせ
○不平不満を一切なくし、感謝でもって受け容れよ
○努力や頑張りは無意味。達成目標や努力目標を立てるな
○喜ばれる存在になることは、頼まれやすい人になることだ
○何かが問題だと言う、その感性を完全に止めよ
このような小林正観という教祖様の教えを完璧に守った信者というものが、どのような状態になっているかを想像してみましょう。
完全な思考停止状態で、努力をすることはおろか、目標を立てることすらせずに善悪の判断すらできなくなります。
そして小林正観という教祖の言うことは、全て感謝をもって受け容れ、もし、教祖様があからさまにおかしなことを言ったり、KAZUMIさんに行ったセクハラ行為さえも、それを問題だとは思わなくなります。
さらに、喜ばれる存在になるために、頼まれやすい人になり、人から頼まれたことは喜んで実行する。。。(喜ばれる存在になるため=努力、目標では?)あれー努力目標を立てるなと言ってたじゃん(笑)
また、人生は生まれる前に自分が書いたシナリオである?
東日本大震災で亡くなった方全員がシナリオどうりに亡くなったとは私にはとても思えないし亡くなった人にこんな事がいえるでしょうか?
とにかく小林正観さんの言ってる事は冷静に考えればおかしいし極論であります。
また、小林正観さんがKAZUMIさんに行ったセクハラ行為は明らかに悪い事です。
金八先生の腐ったみかんの方程式に出てくる不良生徒役の加藤優もこういってます。
(俺が放りこまれた桜中学で最初に教わった事は良い事は良い、悪い事は悪いって事だった。
これが教育ってもんじゃないですか。)
中学生でも善悪の判断の教育は受けてるのです。
- 2012年03月22日 19:12:00
ピーパー
う~ん……いや…僕は、正観さんの教えそのものは、あまりおかしいと思う事はなく、とても良いものだと思ってます。一つの人生の見方という事で、参考になる言葉は数多く残されていたと思います。一応今正観さんの本は30冊ほど持っています。ただもう半年間ほど、ほとんど開いていませんが(笑)
「人生のシナリオは決まっているのだから、目標を立てるな。努力するな」という事は、確か「受験」での例え話で「それは違う」と説明していたような…「シナリオが決まっているからと言って、勉強し、努力しなければ受験には受かりません」的な……。
あと「人が生きる意味とは、努力し頑張る事だと思われがちだが、実はそれよりも喜ばれる存在になり、頼まれごとを引き受けていくだけで、実は人生はそれで良いのではないだろうか」とか、けっこう問いかけ的な書き方をしていて、「努力する事、目標を立てる事は無意味だからやめよう」とは書いてなかった気がします……。
「人生のシナリオ論」ですが、これ自体私は「そういう考え方もあってもいいのではないだろうか」と思っています。ひと昔前、よくテレビに出ていた江原啓之さんも「人が死ぬ死期は、実はある程度決まっている」と発言した事があり、霊的な事を研究している人は、前世からの人との繋がりやカルマが今生の人生に影響すると言っている人が多いです。
ただ、私は数多くの霊能者が言う「守護霊」というものを、一応信じてはいるのですが、たま~に「血も涙もない」と思う事はあります…。例えば今回の地震の件や、ニュースで幼い子供が亡くなった事件とかを見ると「その人達の守護霊は一体何をしていたんですか?」と思う事はあります…。まぁ人生が今生だけではなく、死んだ後にも実は存在という視野に立てば、守護霊がそう導いた事も納得出来るかもしれませんが、霊能力も何もないただの人間からすると、「死」=「その人にとっての全世界の消滅」と捉えられても仕方ありません…。霊能力があれば、親しい人が亡くなっても、その後会話とかが出来るから、寂しくないかもしれないですけど…。この辺は考えれば考えるほど訳が分からなくなるのであまり考えないようにしています…ただ守護霊というものは、おそらくいるのではないかと思います…私自身「自分の人生が、何者かに操られている」ように感じた事はあります…Mr.childrenの桜井和寿さんも「PADDLE」という歌の中で語ってましたね…「時々誰かが、僕の人生を操ってるような気がする」
あと松田さんが言う思考停止状態の方々は、もう極端に正観さんの教えに傾倒してしまい、自分が一人の人間である事を捨ててしまうほどの、中庸から外れてキチガイ的になってしまった人の状態で、正観さんの本を軽く読んで人生の参考にするくらいだったら、別に全然良いような気がします。
- 2012年03月22日 22:50:00
ピーパー
ただ私も正観さんの教えで「それは違うんじゃないの?」と思った箇所があります…。それは「男性よりも女性の方が優秀」とか「父親の愛よりも母親の愛の方が遥かに重要」と言った、とにかく女性を持ち上げる教えです(笑)他の人の教えで「男性と女性の価値は、全く同価値。それぞれの分野が違うだけ」というのがあり、正観さんの場合、やたら女性を持ち上げていて男性は馬鹿、しかし男性は女性からの賞賛を得る事により天才的な力を発揮するみたいな教えがけっこうあり、「これはなんか違うんじゃないの??」と思ってました(笑)っていうか天才かどうかは性別云々よりもその人個人の生まれ持った天性の才能による部分が多く、あまり男性女性の性別は関係ない気がします…。その女性をやたら賞賛するてめぇのその主義がある意味「女性大好き」と暗に言っている気もし、今回のセクハラに繋がったんじゃねぇのか!?とか思えてくる部分もあります。
確かに女性は「優しさ、愛、地に足の着いた現実的感覚」は男性よりも表に出やすいでしょう。しかし男性も「行動力、勇気、自分の夢に向かって行く精神的な積極性」は女性よりも強いと言えます。あとある人の教えで「母親は子供に奉仕の精神(仁徳)を教え、父親は子供に自分で考え学ぶ力(智得)を与える」というのがあり、あと「父親の愛情は子供が男らしく、女らしく育つのに重要」という話があり、正観さんの「母親の愛こそ重要で父親の愛はそれほど重要じゃない」みたいな話は、僕が以前教わった教えとは違い、なんか違うと思いました(笑)
これを、例えば片親のみに育てられた子供の話に例えると、母親のみに育てられた男の子は女性的になり、女の子は男性的になる(性別逆転)。しかし父親不在のため、自分で考え学ぶ力に偏りが出てくる(学び過ぎるか全く学ばないか)。父親のみに育てられた男の子は男性的になり、女の子は女性的になる(性別はそのまま)。しかし母親不在のため、人に対する奉仕の精神に偏りが出てくる(奉仕の精神を発揮する時としない時の差が激しくなる)。←うろ覚えですが、確かこんな感じの教えがあり、実際どうかは知りませんが、とにかく父の愛、母の愛は全く同格で、正観さんの「母親の愛こそ重要で父親の愛はそれほど重要ではない」というのは、なんか違うと思いました。なので、素晴らしい正観さんの教えの中でも、やたら女性を賞賛する「女性至上主義」は、僕は違うと思いました(笑)終
- 2012年03月22日 22:55:00
kazumi
松田優作さま
お言葉ありがとうございます。あなた様の投げかけと、このお言葉も
私には浄化であり癒しです。関わってくださりありがとうございます。
正観さんに関わることなく、正観さんの教えに対し”おかしい”と気
づき、答えを出せたことはすごいことだと思います。
教えを自分で咀嚼している証拠です。
私を含め殆どの方が、その教えが自分にとって都合が良かったり、楽
だったり、何かスゴイ現象が起きてしまったことで、あとはぜ~んぶ
鵜呑みにしてしまいますから。
松田優作さんのように自分の意志、考えがしっかりあるお方でも正観
さんの本に魅力を感じてしまうということがやはり小林正観氏の教え
の不思議なところですよね。ましてや、軸のない私たちなんて、容易
に引き込まれてしまいます。でも、そのお陰で魂レベルが違おうと、
このようにブログでのご縁も出来ると言う不思議が生まれました。
私が感じることですが、松田優作さんはとても感情をコントロール出
来る方なので、歯に衣着せぬ・・・で人と関わることが可能なように思
えます。どうか、世の中のおばかさん(愛を込めて)に私への理解の
ように、深く関わり、見守り、受け入れ、育ててくださるよう、
宜しくお願いいたします[ありがとう1]
- 2012年03月22日 23:46:00
kazumi
ピーパーさん、
もはやピーパーさんのコメントは、
あなたの一生懸命さと純粋さと、
有り余ったエネルギーしか感じ取れません・・・[ラッキー]
私はピーパーさんに嘘も傲慢さも感じられないので
何をどのように感じ取っても、ピーパーさんがそう感じたのなら
全てに”それでいいです!!”と答えそうです(笑)
ピーパーさんは誰かに意見を言われたいのではなく
自分で答えを出したいと思い、出し続けていますよね。
ですから、誰かに意見を言っている際も、それは自分のための
作業のように見えるのです。
ピーパーさん、これこそ、自己完結ではないでしょうか[拍手]
- 2012年03月23日 00:11:00
ピーパー
(また長文で失礼します…読みたい方だけ…[沈黙])
余談ですが、正観さんの「未来の智恵シリーズ」の最終巻である「男と女はこんなにちがう」は、はっきり言って過去最高のつまらなさでしたね(笑)←去年発売したため、和美さんはおそらく読んでないでしょう…。この本にはいつもの正観さんの本に宿っている魔法のような魅力は全く感じませんでした…っていうかこの本書いてる頃は既に和美さんにセクハラした後とか思うと、なんか気持ち悪いですね…。
あと「宝来社シリーズ3」の「天才たちの共通項」という本は、正観さんの本の中で唯一途中で読むのをやめた本です。「ひたすら母親の愛が重要なんだ」という事を書いていて、途中で「もう飽きたよ」「だからなんだよ」と思いました。
一つ思ったのは、「人間の精神を高める(人間性を高める)」のは、現実的行為(日頃の仕事で感じる様々な苦悩)の中に存在し、「人間の現実的推進力(社会での出世とか)を高める」のは、その人の人間性(精神的悟り)であるという話があり、つまり人間は「現実と精神両方が双胴船を漕ぐように高まっていく」という話があります。人間として理想なのは、日頃の仕事の中で失敗とか苦しみとか、物事が計画通り行かないとか、人間関係の苦悩だったり、とにかく一生懸命働く中に真に精神性の高まりがあり、そこで得た精神によって周りの人間を惹きつけ、現実的な推進力が与えられるという話があるんですが、この話には注意点があり、「精神を高めようとして、精神的行為(座して学ぶ行為)をひたすら繰り返しても、物の考え方が偏るだけで真の精神性の高まりはない」←正観さんはこれにあたる気がします…っていうか一年中講演会をしているという行為の中に「失敗して上司に怒られる」とか「お客様に迷惑をかけ自己嫌悪に陥る」とか「物事が計画通りに進まなくて四苦八苦して考える」という経験が出来るでしょうか……講演会なんて、ある意味正観の言う事が絶対であり、誰も正観さんを諌める人なんていないですよね…だから正観さんの物の考え方が偏り、精神に異常性が出てくるのは、ある意味当然とも言えるかもしれません…。
その辺、高橋信次さんは「自分の行為に間違いがないか、常に座禅をし、反省を怠らなかった」「私の言う事にもフィルターをかけて聞いてください(自分の言う事にももしかしたら間違いはある)」という考えで講演していたらしく、その辺はさすがですね…。
- 2012年03月23日 15:27:00
松田優作
前回、正観さんを叩きすぎたので一応フォローもしておきます。(笑)
又、私はいわゆる科学で証明できない物も信じる人間です。
人間はどんな生き方をしても、一人ではどうしようもない困難が、一、二度むこうからやってきます。そのようなどうしようもない途方にくれた時に、小林正観さんの教えは、一時的であれ救ってくれるものであったのではないでしょうか。
話が戻って、ここからは斎藤一人さんじゃないけど信じなくてもいいですよ。
ビーバーさんの言われる(一年中講演会をしているという行為の中に「失敗して上司に怒られる」とか「お客様に迷惑をかけ自己嫌悪に陥る」とか「物事が計画通りに進まなくて四苦八苦して考える」という経験が出来るでしょうか)
に対する私の見解です。
小林正観さんは大学卒業後、民間企業での勤務経験皆無であるとの事実から
正観さんは他の人から本気で叱られらた経験が全くないと思われます。
【何をやってるんだ】【仕事を何だと思ってるんだ】【そんな事もできんのか】
男なら社会に出たなら誰しもが経験する、こうした言い方をされた経験は、小林正観さんには一回もないのではと思います。
それでは何故叱られる事が大事か。叱られた時は誰でも辛いからであります。辛いものは心身に答えるし、その分、人の心の痛みもわかるようになるからです。
人様の心の痛みもわからない輩に講演などする資格もないし本など出版するのとんでもないこと。
そこにきて小林正観さんの教えとあい反する、KAZUMIさんへのセクハラ事件。
被害者のKAZUMIさんはもちろん、小林正観さんのファンは、このセクハラ事件こそ、理不尽な事であり不条理な事に思えるのではないでしょうか。
私は、人が精神的に成長する、社会を知る、学ぶ上でいくつかの条件の一つは
【理不尽がまかりとおるのが世の中だ】という事を早いうちから叩き込まれる事だと思ってます。
力の持つ物が手の上に白い玉を載せて【これは黒だよね?】と聞く。
誰が観ても白い玉を見て、【はい、それは黒ですね】と返答せねばならぬ時が人生では幾度となく訪れます。
我慢して応え、それで済むならそうとするのが世間であります。
その時【そんな理不尽な】などとは言ってられません。
なったものは正観さんじゃないけど(笑)受け入れて
【世の中には理不尽はある。これを機会にこちらもたちむかおう】と、すぐに対処できるどうかは、理不尽さを知っていたかが
決め手になるのではないでしょうか。
- 2012年03月23日 21:05:00
ピーパー
松田さん、熱いコメントをありがとうございます―――。
確かに社会生活で経験する様々な理不尽な出来事からは「人生とは思い通りにならないもの。しかしその葛藤の中でこそ、人間は成長する事が出来る」という事が学べますね…。正観さんみたいに「自分の語る一言一言に聴衆が一喜一憂し、自分が周りから祭り上げられている状態」では、相当自分で自分を戒める心があるか、または「人間とは自分を含め、愚かな生き物である」といった高橋信次さんのような達観した心がない限り、傲慢さから抜け出せなくなってしまう気がします。
……ただ、私は正観さんに生まれ持った素晴らしい突出した才能があったのは確かだと思います。その才能にまかせて、素晴らしい本を多く出していった。しかしいつしか、その自分の才能をよりどころにする多くの人に囲まれていき、いつしか謙虚さを失っていってしまったんだと思います。
…っていうか日頃、お客様からクレームばっかりもらったり、上司に怒られたり、自己嫌悪を感じるような職場だったら、嫌でも「自分なんて大した人間じゃない。もっと頑張らなきゃ」と謙虚さを保てますが、正観さんみたいにみんなが自分を祭り上げ、誰も自分を諌める人間がいないような立場に立ったら、相当凄い人間(高橋信次さんとか)でない限り、物の考え方がおかしくなり、精神異常に陥ってしまう気がします。っていうか正観さん自身、本の中で「謙虚さ」や「自己嫌悪を感じるのは良い事」と書いてるんですけどね………。
この解釈ですが、斎藤一人さんが言ってましたが、「本とは、書いた人にとっての最高のものが詰まったもの。だから本の著者に直に会った所で、本以上のものを期待するのは間違い」
正観さんの場合、生まれ持った才能が凄いため、その結晶が本に現れているため、この辺がどうしてもややこしくなるんですよね…一言で言うなら「自分の才能に溺れ、同時に煩悩にも溺れ、自分を見失った」と言った感じでしょうか……。
- 2012年03月25日 03:01:00
松田優作
ビーバーさんの言われている事が、私には現在の小林正観さんの(まぎわらしさ)の全てであると思われます。
なんといえないものを、ものの見事に表現されて、ありがとうございます。
小林正観さんのファンや元ファンの方も
ビーバーさんの言われるように
(正観さんの場合、生まれ持った才能が凄いため、その結晶が本に現れているため、この辺がどうしてもややこしくなるんですよね…一言で言うなら「自分の才能に溺れ、同時に煩悩にも溺れ、自分を見失った」と言った感じでしょうか……。)
現在の心境として、こういうふうに皆さんも思われてるのだと思います。
ところで、このセクハラ事件に対して小林正観さんのとりまきの方から、反論が全くないのも【何かが問題だという感性を完全に止めろ】といった正観さんの教えのようなものを守ってるからでしょうか?
それこそ思考停止したロボットや腐ったみかんのようなものに思えてしょうがないのですが(笑)
金八先生の腐ったみかんの方程式の不良生徒役の加藤優もこう言ってます。
【俺はみかんなんかじゃない。俺は人間だ。】
- 2012年03月25日 09:13:00
ピーパー
松田さん、↑上のコメントの最後ら辺の「それこそ思考停止~~」のくだりは、挑発的な文章とも取れ、人との争いを生み出す元になる文章です。私は争いは好きではありません。自分に直接危害を加えてきた人間に反撃を与えるのは仕方のない事ですが、会った事もなく顔も名前も知らず、自分とはなんの関係もない赤の他人をけなすと、それがきっかけで無意味な言い争いが起こったりする気がします。仲良く楽しくやって行きましょう…。
- 2012年03月27日 03:12:00
松田優作
ビーバーさんのご指摘のとおり、私のコメントがいつのまにか
正観さん批判、また正観さんのファンの方への挑発的なものに
なってしまいました。この点につきまして深くお詫び申しあげます。
- 2012年03月27日 12:17:00
kazumi
こうやって、正観氏から学んだ人たちと関わり合い、語り合い、意見を交換することで、また新たなものが見えてきますよね。
わたしもそう思う!とか、私はそう思わないな~とか。
このコメントをよんでくださっている方たちも、きっと、自分の考えをまとめるのに役立ったりと深く意味ある作業にしてくださっていると思います。この関わり合いこそ、大きな学びの共有ではないでしょうか。
ピーパーさん、優作さん、投げかけや関わりをくれて、ありがとうございます[ラッキー]
そういえば、一人さんが、
ここの本のここがおかしい!と言っている人に対し、
本を読んで全員が全部が納得できるようなものはないように言っていましたね。それならお前が書けって(笑)
優作さんの
【世の中には理不尽はある。これを機会にこちらもたちむかおう】と、すぐに対処できるどうかは、理不尽さを知っていたかが決め手になるのではないでしょうか。
には大きくうなずきます。
セクハラとは関係ありませんが、正観さんとの会話で記事にしようとしていたのがまさに優作さんの”力の持つもの(正観氏)が手の上に白い玉を載せて【これは黒だよね?】と聞く。えぇー!?白い玉よ!・・・と思いながら、【はい、それは黒でした】”と(わたしが)返答しちゃったお話、ありますので、またこぼれ話で記事にしますね。
- 2012年03月29日 00:29:00
誰も
誰も喜ばない
- 2012年04月11日 11:40:00
権限がありません
このコメントを閲覧する権限がありません。
- 2015年11月17日 20:19:23
匿名希望
はじめまして。私は小林正観さんに4年くらいお世話になったものです。
正観さんのセクハラ。側近とはいえどのくらいの人間がその事実を知っているのか、私は知りません。
私がそのことを知ったのはひょんなこと。正観さんからビデオデッキの不具合をみるよう頼まれたのです。そこにはビデオテープが挟まれていました。そこに何が映っていたのかは想像できるかと思います。
そこには私の知り合いの女性もいて、恥ずかしい話、私は同意の元でそのような行為は行われているものと信じていました。
あくまで本人の性癖だとして自分の胸にしまっているうちに本人は亡くなりました。
その後ネットで被害を訴える女性が複数いることを知りました。講演会前の控室で行われたことが書いてありましたが私はそれが「本当」であることを確信しています。
現在、正観さんの「弟子」として講演会やセミナーを行っているかつての仲間もいますが、彼らのほとんどは本当に正観さんのそういう面は知らないと思います。
もし被害者の方が何らかの行動を起こされるならば、きっとその方は誹謗中傷にさらされるでしょう。
正観さんがセクハラをしていた、そのことを受け入れることのできる人はいないからです。私もビデオをみていなければそうだったと思います。
ですから、「事実」を知るひとりとして、どうやったら被害者の方の気持ちが少しでも楽になるか、もし自分にできることがあれば私も勇気を出して行動をしようと思っています。
- 2015年12月18日 22:58:15
k
以前読んでいたセミナー講師のブログで、正観さんには何人も愛人がいると書いてるのを読みました。多分ホントの話しだと思います。
万人が感動する話を話したり書いたり出来るからといって、自身が人格者とは限りませんね。肉体がある以上、欲望に振り回されるのが人間です。神にはなれないしなる必要もない。
そもそも講演活動でほぼ家には帰らない人です。自由奔放な生活だったでしょう。
でも正観さんの話しを聞いて心が癒されるのも事実です。苦しい時に心をほぐしてくれるのは、許すこと、感謝すること、頑張らないことを教えてくれるからでしょう。
でも生きてたら頑張りが必要な時もあります。謙虚であるよりも言いたいことを言ったり怒ったりした方が状況が改善することもあります。天国言葉を唱えても唱えなくても嫌なことは起きます。
上手く行く方法というのは状況により変わっていくので、一つの教えに固執しないのがベストだと思います。
- 2022年08月13日 12:49:44
松田優作
元松田優作さんのニックネームでコメントさせて頂いたものです。
あれから10年以上経つのですね。
当時、びっくりしたのは和美さんの持つ不思議な能力でした。私のコメントだけで
私の前世や心の中、魂の叫びを、ズバリ当たってて驚きました。全く私のコメントでは一切、私に関することは通勤災害で頭蓋骨骨折の意識不明で危うく死ぬ所だったことしか、お伝えしてませんでした。
今、本格的に和美さんがスピリチュアルな仕事をされてて、とても嬉しいです。
- 2023年01月11日 19:06:54
松田優作
KAZUMIさん
私の失礼な愚問にも、けっして怒らずに、このように真摯に回答されて下さった
事に対して、KAZUMIさんの誠実なお人柄を感じると共に尊敬の念さえ抱きました。
また、KAZUMIさんの精神的苦痛がとれない時に、このようなコメントをしてしまった愚かな私をお許し下さい。
(”自ら傷ついても相手を諫める覚悟をもって、善に導かんとすること”は
ブログでの告白という形でが精一杯です。)このお言葉が重みがありますね。
KAZUMIさんのお知りになっている事で、このブログで、もっと小林正観さんの真実をさらに発信して下されば、このブログがさらに意味のあるものになると思われます。
故夏目雅子の元夫で現在篠ひろこの夫の伊集院静氏の言葉を引用させて頂きます。
【あなたはまだ若いから知らないでしょうが、悲しみにも終わりがあるのよ。】