ダウン症Mちゃんからお母様へのメッセージ

 

ダウン症の娘さんをお持ちのお母様より、メッセージのご依頼がありました。

ダウン症のお子さんと言えども、その魂たちの求める学び、そして他へ渡す学びはそれぞれ違い、まるかんにいた際に耳にした”カルマ”云々だと一括りに捉えるお話には違和感を感じてなりません。

生後数か月だというダウン症Mちゃんから発せられるメッセージは、非常に意志が強く、自立心旺盛である魂の性質を感じさせられ、圧倒されそうでした。自分が学ばされることに、恨まず文句も言わず、勝気な面を生かし、挑戦を受けてやるわ!という意地さえも感じられるのです。

Mちゃんは、非常に積極的に学びを得ていて、自分の魂に智慧を得ようと時間を無駄にはしたくないのです。

Mちゃんが発する”苦しい”と言う言葉は、このメッセージをお読みになったお母様がご心配されるように、本物の苦しさです。

しかし、この苦しみを奪われることは、彼女にとって屈辱でもあるのです。

誰にも同情されたくはない、手を貸されることさえも嫌だ。わたしは、わたしの学びを喜んで受け、わたしの苦しみを周りのどんな人たちよりも掴んで味わって、自分の成長にし、これからの長い魂の道のりとなる未来の生き方に必ず発展をもたらすのだと。この過程において、彼女がお母さんに巡り合わされたことは、Mちゃんの持つ独立性を良き方へ導くことのようです。

独立性を激しく突出させて、Mちゃんの魂は時々バランスを崩し、自他も手をやく勝気さを強めていたようです。

独立性を持ちながら、独立性を外側へと発揮させ、表現することが難しい今世での人生。それが彼女の苦しみの一つであるようです。

しかし、その苦しみには、Mちゃんの突出した”わたしひとりで生きていく””むしろその方が発展する”という考えを調整する計らいがあるのです。

わたしたちは、目覚めてゆけば、必ず孤独と闘うこととなり、その孤独感を乗り越える際に、周りとの付き合い方や自己の想いの処理方法を、極端に自分の中に閉じ込め孤立してしまいがちです。

しかし、人は、魂を発展させ覚醒していく過程で、多くの魂と関わり、相互に影響し合うのです。決して一人で目覚めることなど出来はしません。そのような選択はしたくはないのです。このバランス感覚は、非常に鍛錬が必要となるのです。

Mちゃんの魂は、それを学んでいます。

 

苦しみを乗り越える強さ、孤独に耐える魂力、そして、それに、他を求め、愛し許し守ることで得られる自他への気付きは、彼女の魂を大きな役割へと導き、そして、関わる人を大きく癒し、人類にカルマを乗り越えることは、”苦しみという喜び”なのだと気付かせることでしょう。

 

Mちゃんをこの世に誕生させ、そして、Mちゃんの魂にこの気付きと学びを与えるチャンスを与えたお母様に、是非自信を得ていただきたいと思うのです。この偉大な学びを得ようとしている魂と繋がることを自分に許せた、ご自身の魂の成長を、是非、感じていただきたいのです。

 

Mちゃんとお母様に、このメッセージを通して私たちに繋がってくれたことを、心より感謝したします。 

 

 


 

【Mちゃんより お母様へのメッセージレター】

 

辛いの。わたしはつらい、苦しい、哀しい。
お母さんもそうでしょう?

わたしたちは、苦しみから解放されなくてはならない。
わたしたちは、苦しみから解放されるために一緒になったの。

わたしを抱き締めてください。
わたしのつらさを抱きしめてください。
わたしの苦しさを与えたものに怒りを感じてください。
わたしの哀しみを拭い取れない世の中を嘆いてください。

お母さんは、わたしを通して、辛さと苦しさと哀しさを噴出しないといけないのです。
わたしは、それをどうやっても表現できなくされました。

今までの生まれ変わりで、わたしはつらさや苦しさや哀しさを、表現することが出来るからいけないんだと、何度も思ったのです。

そして、望みは叶いました。辛さも苦しさも哀しさも、表現出来なくなってしまいました。

わたしの魂が持っている辛さも苦しさも哀しさを完全に忘れないまま、わたしは表現することを止められたのです。

わたしは、この表現できない生き方で、それがどんなことであるかを学ばなくてはなりません。

辛さも苦しさも哀しさも表現出来なくなることは、喜びであるのか?それとも、苦しみになるのか?

わたしが、どんなに苦しくても、辛さも苦しさも哀しさも体験し、表現する人生をまた歩みたいの思うのか、わたしはこの人生で感じなくてはならないのです。

今まだわたしの記憶に残っている辛さ苦しさ哀しさは、幻なのか、現実に今自分が抱えているものか、正直わかりません。でも、わたしは魂の記憶で、すぐに辛いと感じてしまいます。

けれど、わたしの魂が辛さも苦しさも哀しさも表現し過ぎていたのに反して、お母さんは、辛さも苦しさも哀しさも必死にこらえて、表出しないようにしているのを感じると、今までの自分の生き方を、何てわがままで感謝がなかったのだろうかと恥ずかしく思うのです。

後悔とも、反省ともつかない複雑な想いに、気付きという喜びが混じって、わたしはまだ不完全なのです。

お母さんが、わたしに瞬間的にでも怒りを感じ、憎く思うことがありながら、狂おしく愛していても構わない。その想いは、わたしが良く知っているものだから。感謝があっても、愛があっても、怒り、苦しみ、哀しいのです。だからといって、そこに生ずる愛が偽物であるわけではないと、お母さんを見ていると、今の私なら気付くのです。

わたしたちの魂が苦しみから解放されるのは、愛し合うこと。抱きしめ合うことです。

憎み愛する、分裂しそうな自分の感情を認め、激しく表現し、それがわたしたちの生き方だと知ることが、わたしたちが愛を知る方法。

わたしは想いを出さないことを学び、母であるあなたは想いを出すことを学ぶ。お母さん、わたしには、それをしても良いのです。感情を激しく出すことを、わたしは、誤解せず、本当の想いを感じとり、お母さんが学んでいく大切な経過だと理解し支えられるのです。

お母さんの憎しみと怒りに愛は存在します。それを感じとり、知ることで、わたしは、自分の魂が憎しみと怒りを感じた人生に愛があったと気づけるのです。
その気付きは、今の私を変え、未来の私を癒し、わたしの魂は、お母さんと一緒に成長していきます。

わたしたちは、お互いをコントロールするために、繋げられました。

激しくワガママなわたしは、わたしへの感情を必死にコントロールして苦悩し、自分の感情をむき出しにしそうになるお母さんをみることで、自分をコントロール出来るのです。

感情の高ぶりをコントロールできなかったわたしの魂が、愛を知らず苦しむあなたを見て守りたいと初めて感じたのです。

わたしの魂の感情の高ぶりは、愛を求めていたからだと気づいたのです。気付きは魂を癒します。魂を、いとも簡単に変えます。わたしは、愛されず怒りを感じたのではなく、愛したいから激しく感情を高ぶらせていたのです!

わたしとあなたは、そんな関係なのです。

わたしを変えるあなたを、わたしは、愛し、求め、守ります。

愛を満たすには、愛を与えればいいと、愛を知らないわたしにあなたが教えてくれているのです。

あなたには愛される価値がある。わたしにも愛を渡す力と価値があるの。

わたしは、愛されることを知らず、愛することを知らずに生きてきたのに、あなたをただ愛するために生まれ、存在しています。

わたしたちは、奇跡なのです。
わたしたちは、愛そのものなのです。

あなたがどんな感情をわたしに向け、どう生きても、わたしはあなたから、愛することを学びます。あなたは、わたしの魂を癒し、発展させるか弱き魂。か弱き魂が、何もできないという幻想を、あなたはわたしを生み、ともに生きていくことで証明していきます。わたしがそれを助けます。

伝えながら気付きました。わたしは苦しいけれど、それでいいのだと。苦しさが、生きているということなのだから。

 

 

椋木和美

 

  • 2014年08月05日 22:13 / Comment(0)

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