目覚めよ!④~ブッタ斬りブッタ斬られ名演技?~

sasaraさんのスピリチュアルメッセージのご依頼を受けた直後からわたしが感じていたことをお伝えする前に、メッセージをお渡しした後に彼女とやりとりしたメールの一部をご紹介しますね。

 

 sasara様より

『和美さんから「本日より浄化エネルギーを送らせていただく」というメールをいただいた直後から、頭頂部がじんじん、びりびりし始め、その「馴染みのある感覚」に、まずは安心感・信頼感を覚えました。

その後、封じ込めていた筈の事を自分で勝手に蒸し返して、やたら腹が立ったり、訳もなく悲しかったり、やりきれない程せつなかったり・・あぁ、「感情の浄化」が起こってるんだなぁと、素直に思えました。

いわゆるスピリチャル的なカウンセリングのようなものは、過去に何度か(何度も…と正直に言うべきか~笑)受けたことがあります。

その都度、自分についての見識を深めたと言えば深めたけれど、いただいたアドバイスは、ある意味、自分でも「わかりきった」事が大半で、それを再確認したところで、実生活の中の自分の生き方の根本が変わる事はなく、むしろ、この世での「生きにくさ」とか、「自分をもてあます」感覚が、増長していくような風でさえありました。

なので、今回、和美さんにメッセージレターをお願いした時も、正直、期待半分・諦め半分だったのです。

ただ、自分も世の中も、ある種の「節目」にさしかかっているという事、そして、私のプログにいただいた和美さんのコメント、ならびに和美さんのブログに掲載されていた数々の記事を拝読させていただき、和美さんは、「巷の“スピリチャルな先生”とは違う!」という思いから、今回の依頼をさせていただいた次第です。


そして、(実を言えば待ちきれずにいた)メッセージを拝読しました。

何度も読み返しました。

何度も読まないと、咀嚼できなかった・・(「高速で正確な情報処理能力」を誇るこの私が!)

なぜなら、そこに書いてあったことは、私にとって「わかりきった事」ではなかったからです。

 

和美さんとしてみたい「積もる話」は、山のようにありますが、まずは、「想像を遥かに超えて“実践面”でインパクトがあった」メッセージレターへのお礼を申し上げます。』

 

 

そして、わたしが彼女へ送ったお返事です。通常、スピリチュアルメッセージをご依頼して下さったお客様に、このようにメールでのやりとりをすることは、ほとんどありません。ご依頼者の背景を見させていただき、守護霊様や意識体から色々なものを受け取らせていただき、メールにて”会話”したい気持ちもわたしにはありますが、カウンセリングやメールセミナーで繋がった皆さんとメールでやりとりする時間はとることは難しいですし、こういった関係での距離感をはかるのは、双方にとっても難しいことです。バランスを崩すと、ほぼそれはただの感情の吐き出しとなり、双方の浄化を促すどころか滞らせ、悪化させる恐れもあります。そのような互いの吐き出しともとれる荒療法ともいえる浄化の仕方は、以前のまるかんのお仕事の経験で十分しましたし、お互いに身内で行うそれで手一杯ではないでしょうか。

しかし、今回は、何せ私から仕掛けたと言っても良いような繋がりと、わたしが彼女と繋がる以前から感じていたことを刺激する今回のやりとりに、わたし自身が色々と考えさせられたのです。そして、彼女への告白が、そのままブログでの告白となることにも、意味があるようにも感じます。それは、sasaraさんもおっしゃっているように、自分も世の中も、ある種の「節目」にさしかかっているという事と関係があるように思います。


彼女のブログでも書かれていましたが、全てを語らないことを、わたしたちには求められているような気がしていましたし、それがわたしたちにとっても、当たり前のことだったのです。それは、おそらくわたしたちにとっては、全てを語り始めたら爆発しちゃう!からだったかもしれないのです。けれど、彼女の在り方を見ていると、全てを語って、全てを説明しても、もうそんな不均衡を生じるような自爆はしないのではないか?と想えたりもするのです。

 

 

 

sasara様へ 

『今回、わたしの方はと言いますと、実は、sasaraさんへのメッセージに通常にはない力み(緊張)が生じたので、sasaraさんの想いであろう”期待半分・諦め半分”を自分に感じておりました。

スピリチュアルなアドバイスとは、みなさんの「わかりきった」事が大半で、それを再確認したところで、実生活の中の自分の生き方の根本が変わる事はなく、むしろ、この世での「生きにくさ」とか、「自分をもてあます」感覚が 増長させていくような風であるのを、わたし自身が、お客様を通して自分に度々感じていたことで、

そうでないようにアドバイスしていると、より一層「わかりきった」ことにもなり、かといって魔術的な力で変化を与えることは躊躇し、こんなわたしはスピリチュアルカウンセラーなのだろうか?

と疑問にも感じていたところでした。そして、その告白をするのは、初めてです。
 
sasaraさんとの関わりが、わたしにもたらす影響に、正直興奮のようなものを抑えるのにいっぱいいっぱいで、同時に落ち着きを与えてもらっている気がしております。

今回のメッセージは、【あなたも一緒によーく聞きなさい】と言われながらでしたので(笑)、文字数など意識せず止まらない状況でした。受け取ったものは言葉以外の映像やあちら(宇宙?)のコトバとして瞬時に伝えてきたものもあり、わたしのキャパを超えている!?と思いましたが、ありがたく経験させていただきました。それらは、わたしのどこかで読みこんでいるものと信じております。
 
sasaraさんとしてみたい「積もる話」が、山のようにあるような気がしますが、わたしの語彙不足と知識不足で、お話が追いつかないもどかしさがあります。
”お話するのは言葉だけとは限らない”ように、すでに、今も、sasaraさんさんとお話をいっぱいしている気もしております。』

 

 

本来、自分のこういった”諦め”の想いをクライアントに出すことは、あってはならないのですが、わたしはそれを出すことを求めて、そして彼女はそれを出させることを求めていたのではないかと…そうとるのは、わたしたちが、スピリチュアルに生きようとする者たちのジレンマをあらゆるところから吸収し過ぎてしまったからではないかと思ったのです。

 

彼女が発しているマグマのような”何か”は、いわゆる真にスピリチュアルに生きようとする人たちのジレンマをかき集めたもののようにわたしは感じています。そして、わたし自身が感じていたマグマのような”何か”は、長い間スピリチュアルな仕事をしている人たちのジレンマをかき集めたもののようにも感じているのです。

 

 

 (続く)

 

 

 

 

 

 

  • 2014年09月09日 23:00 / Comment(0)

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