魂の役割~【お返事レター】家族への拭えない負の感情はあなたの罪??~
わたしはスピリチュアルメッセージなるものを降ろしながらも、それを共有させていただく際は、”スピリチュアルカウンセラー”ではなく、ただの未熟な人間としての共有となることがほとんどです。もし、ご依頼者と同じ境遇にあれば、わたしは、彼女よりもっと苦しみ、間違いを犯し、絶望していたのではないかと思うことがしばしばあります。だから、彼女がどんなに頑張っているか、これまでどんなに頑張って自分を狂わせず立たせてきたのかを、ひしひしと感じるのです。
こうなればもう、わたしが降ろすお返事レターは必要ないようにも感じてしまいます。彼女からいただいた【ご質問】である『告白』こそが、私を癒し助けるメッセージとなっているように思うのです。わたしが出来ないことを、彼女は一人で抱えて担当してくれていた…そんな風に感じます。それならば、彼女が出来ないことを、わたしは彼女のためにも担当するのだと、この役割を放棄せずにいられるのです。
家系が繰り返す苦しみを、誰が気付き、許し、解き放つのか。
それは、残念ながら、誰かに甘えたくて仕方のない”あなた”であり、全て自分が悪いと想いこんでしまい傷つき力尽きた”あなた”なのです。
家族へ甘えたい気持ちは、家族に怒りを生み、責め、憎しみとなります。
しかし、甘えたくて責めたい相手には、それを理解し、解放させる力はありません。
家族の変化を諦める前には、自分に怒りを生み、責め、憎もうとします。
しかし、それは単なる自分の役割からの逃げでしかないと、どこかで気付き、自分を責める行為にも没頭できないのです。
この事実に気付けば、諦めの気持ちが生まれますが、諦めた先にあるのは、”自分は甘えたいのではなく、自分があらゆるものを甘えさせたいと望んでいて、誰よりも家系に対する深い愛がある”と知ることになるのです。
わたしも、家系の苦しみ、家系のカルマを断絶する役割を買って出ました。それは、誰もその役割を担える人がいないと気付いたから。その時の決意から、今の仕事の道が用意され始めたのではないかと思っています。それが、全ての始まりだったのではないか…そんなことを思い出す、彼女のご質問、お返事レターです。
いつも、メッセージを共有させていただき、心より感謝いたします。
【ご質問】
今日ご相談したいことは、私にとってとても勇気がいることで、でもずっと心の中で黒くしこりになっていることです。
私と娘との関係をきちんと理解し、二人の間に起こっていることを知りたいのです。
娘は気質は優しく、賢くがんばりやです。そんな娘を私は下の子が生まれるまでは、一生けん命に愛し育てました。
できることは全力で育ててきました。スキンシップも、読み聞かせも、食事も、良いと思われることをし、娘も穏やかに安定して成長していました。
今思えば自分の分身として愛し、それは愛という名を騙った、ただの支配だったのかもしれません。
それでも親子関係は安定していました。
下の子が生まれて、夫との葛藤や育児ストレスがかかり始めてからは、気がつけば娘をそのはけ口にしてしまいました。
一言でいうと、モラルハラスメントです。一見正しく見える叱責、でも問題は娘ではなく私の心のどろどろしたものを解消するための攻撃的な言葉です。でもそのあとにものすごい後悔がやってきて、変わらなければだめだと何度も思いながら、結局変われず今日まできてしまいました。
厳しい叱責と後悔からの優しい甘い態度の繰り返しで、娘は私の状態をいつも気にし、怒らせないように無意識に気をはっているように感じられます。私はそうすることで自分にしばりつけようとしたのかもしれません。
娘の依存的な態度、要領の悪さを見るにつけ、もの凄い怒りがわいてきます。
でも心の底には、私に愛されたいという切ない気持ちがあることを私はわかっているのです。その姿は私と同じです。
それなのに、娘が落ち込んだ時に私におそるおそる甘えてくる姿にさえ、どうしようもない嫌悪感が生まれてきます。
抱きしめてもらいたい、愛されたい、愛を実感したい、そんな表情をみるともうだめなんです。
私が子どもの頃、母親に抱きしめてもらいたいのを拒絶されて傷ついていたことで、それがどんなに苦しいかわかるのに体がうごかないのです。
この子は、決して人から嫌われるような人間ではないのです。もしこの子が他人の子どもであったなら私はなんて素晴らしいお子さんなのとうらやましがるはずです。
でも、自分の子どもとなると、、、問題は娘ではなく私にあるのだといます。
親に理不尽に拒絶される苦しさ、愛されていないのではと思ってしまう恐怖感は私自身がよくわかっているはずなのに、同じことをしてしまう自分がいます。
自分にとっての一番の闇は娘との関係性のなかに隠れているのでは、と感じています。
和美さんのお手紙を読みながら、浄化を始め自分と親との関係や、そこからくる満たされない思い、怒りやさみしさを理解し始めています。
娘を私から自由にしてやりたいと思うのです。
今からでも、娘を楽にさせてやれますか?そのためにどうすればよいですか?
私の中には、親に対する怒りがまだ残っており浄化は難しいですか?
自分の闇をなくせなくても、折り合いをつけて生きたいのです。
【お返事レター】
娘さんをあなたから自由にさせるには、あなた自身が長年の苦しみから解放され、自由にならなくてはなりません。
悪いと解ってはいても、あなたが長年娘さんの対応を変えられなかったのは、あなた自身が、加害者のような立場にありながらも、被害者のような立場であるとも言えるからなのです。
あなたが自ら受けた傷を、物わかり良く受け入れ、許し、自らの魂の発展に転換させようとすれば、あなた自身が自分の中の奥底に怒りを隠し、膨らましていくことになると解っています。でも、あなたは、それをすべきだと思います。あなたの中に、自分の心の傷を誰も祓い拭ってはくれないという哀しさが生じても。
それはやはり、本当の懺悔とはならず、かえって危険なのです。
もっと、やり方を変えてみませんか?
あなたにとって、娘さんはあなた自身であり続けたでしょう。
あなたがそうできなかったように、娘さんも、自分がされている理不尽な対応に怒りを噴出し、母を責めることも出来ず、自己否定を強め、顔色を伺い、愛を求めます。
そんな娘さんの姿によって、あなたが自分を拒絶した母への怒りを再認識し、許すことで浄化させるのではなく、母から受け入れてもらえぬ自分をいつまでも否定し、相手の理不尽な態度を責めることも出来ずにいた自分の方が間違っていたのではないかと感じさせて、あなたの心を揺さぶるのです。
だから、あなたは、自分と同じような態度をとる娘さんに同情するのではなく、イラつき、どこかで駄目な子だと思ってしまうのです。
あなたが今、娘さんを楽にさせたいと言うのは、ある種の代替です。
自分自身が苦しさをバネにして生まれ変わるように自分を変えてゆきたいと思いつつも、これまでの苦しみを昇華出来ず、いつまでも同じところにいる自分に限界を感じるのです。そこで、あなたは自分の分身である娘さんに先に解放してもらい、娘さんが力強くいきいきとある姿を見ることで、自分自身が、まるで苦しみや怨みを乗り越えて飛躍していくかのように感じたいのです。
これは、娘さんにとっては、さらなる苦しみでしょう。お母さんの想いが満足するような反応を見せなくてはならないのですから。
では、あなたは一体どうすればいいのでしょうか?
あなたが理解すべきは娘ではなく母です。今のあなたなら、母親が自分の中で感じ続けてきた想いを感じ取ることが出来るでしょう。
何故、あなたは、娘さんにひたすら懺悔しようとするのでしょうか?この捉え方を変えてみましょう。あなたは、自分という人間を通して母に謝ってもらうべきなのです。
あくまでも、楽になるべきなのは、あなたです。それが全ての正しい判断です。あなた自身が自分の母親になったつもりで、自分の分身である娘(自分)に謝らせるのです。こんな母でごめんなさい、でもこのような愛し方しか出来ないと、あなたの意志と、あなたの力で、淋しかった幼い自分(娘)に謝るのです。そう感じてみるのです。
これは、あなた自身が懺悔することではなく、あなたが母の代わりに懺悔して母の弱さを出させることなのです。自分を使って、母に懺悔してもらってください。母が現実に出来ないことをあなたが手助けしてあげるのです。あなたは、そう感じて動かなくてはなりません。そして、そうされた時の自分(娘)を客観的に見てください。
あなたは、本当に母親に懺悔してもらいたいのか?それがわかります。あなたが、本当に傷ついていたのか?それもわかります。
そして、人間の、自分自身の闇を深刻に受け取っても、それに飲み込まれない要素が求められているでしょう。
あなたの魂が学びたいことが人間の心の闇であるのならば、あなたは、近しい人からも、自分自身からも、闇を学んでいるのです。魂の望みは成功しているとは思いませんか?
あなたがこれまで受けたこと、あなたの母親が幼い時に受けたであろうこと、あなたの娘さんがあなたから受けたこと、全てが確かに闇です。あなた方は、家系のカルマとして、自分が被害者になったり、加害者となったり、これを行った来たりです。
あなたが止めてはみませんか?
あなたは、闇を受け入れるべき。母であっても一人の弱い人間。深い愛情を与えられず受けた傷で、子どもにとって最善の愛を与えられないことだってあります。しかも、あなたは自分が与えられなかったからこそ、子どもに対して完璧な愛を渡すと力み過ぎたのです。“一生懸命に”愛さないといけなくなったのです。その重圧が、自分の余裕がなくなったときに爆発してしまったのです。
あなたは、このように感情をぶつけて育てることしか出来なかったのです。あなたに愛情があることに間違いはないのです。それをあなたに愛情がなく間違っていると叱責するような意見や本を読んでまた罪悪感を強めることは、あなた自身が自ら得た魂の経験を、ただの被害者と感じるだけの学びとしてしまうでしょう。
あなたが娘さんにしてあげることは、娘さんがどんな経験をしても、これから人生に希望を持ち、諦めることなく学んでいく力をつけてくれるだろうと信じてあげることのみです。
愛されなかった子供、それどころか、親に裏切られる子供もいます。あなたがもし、大きな懺悔をしてあげなければ、娘さんを、愛を信じ自分を信じる魂に出来ないのであれば、あなたを含め、その経験をしている魂全てが立ち直れず、屈折し、希望を持てないということになります。
あなたは、それを信じますか?
娘さんや親に受け入れてもらえなかった子供たちの魂を、信じてあげてください。
それは、あなたが、あなた自身の希望を信じるということでもあるのです。
もっと良いスタートラインに立てれば、わたしや娘の人生は変わった、そう思っているままでは何も変わりません。どんな状況からでも、あなたたちは素晴らしい人生に立てるのです。
あなたは、思い込みに支配されているだけなのです。
自分の今を、過去に支配させてはなりません。どのような過去があっても、あなたたちは自分の可能性や希望、自分を信じる気持ちを完全に消すことなどできないのです。
あなたの家族、あなたの子育ては、本当に闇だらけでしたか?明るく光る部分、学びはありませんでしたか?
魂や心を100%光にしようなどと無謀なことは考えないでください。あなたが妥協案として出した闇との共存を生き様として下さい。闇があるからこそ、光に気付き、光を欲し、光を求め、歩み、いつか光になりたい、なれる、と思うのです。
あなたの魂があまりにも完全なる光を求めた結果のこれまでの経験だと思ってください。しかし、ただの経験です。経験に、魂も心も支配されてはならないのです。
ただ、自分を許し続けて。それだけで娘さんは解き放たれてゆきます。
あなたが一生懸命に育児をしたように、娘さんもこれから一生懸命に愛を渡そうとし、母の苦しさを感じ、自分がどう生きるべきかを感じ、魂を光に近づけようと奮起し続けるでしょう。
人間そのものを見ないで、奮起している魂を一生懸命に見つめてあげましょう。きっと、深刻さなどいらない明るい作業をしているのだと、気付いていくでしょう。
自分を闇と見ず、光を掴む手前にいると思うことで、あなたの立ち位置は娘さんを引き連れて変えることが出来ます。今のあなたを取り巻く現状を、闇しかないという思い込みに支配されず見ることが出来れば、必ず心落ち着くことが出来るでしょう。
何かしなければならないのではなく、何もしなくても良いのです。あなたは、楽になるべきなのです。
椋木和美
- 2014年10月05日 18:54 /
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