ダウン症の次男さんからお母様へのラブレター
それとどうしても障害者に対しての壁が乗り越えられなかった。そこが自分の最終課題であるかのように。だからこの子がダウン症として産まれてきた時は、やっぱり…と言う思いと無償の愛を学ぼうって事なんだなぁって思ってたのを思い出しました。でもいざ産まれてみると、あまりそれ程難しくなく壁を乗り越えつつあり、壁の大きさは自分で作ってしまっていた事にも気づきました。
最後の僕からのプレゼントだよって言う文章には、彼の沢山の深い愛情が伝わってきて思わず彼を抱きしめて泣いてしまいました。彼を授けて下さった旦那様にも感謝ですね。』
ダウン症の次男さんよりお母さんへのラブレター
僕とお母さんは一心同体。分身というよりも、お互いに自分自身。
僕らはいつも、ともに動いて、ともに感情を分かち合って、ともに成長する。
僕が出来ないことはお母さんがやって、お母さんが出来ないことを僕がやって、人生を楽しむ。二人で一人ではなくて、二人そろって自分達の一つの人生を、数倍色濃くする。
でも、僕の正体は、お母さんが創りだしたもの。僕の創造主はお母さん。
お母さんは、自分が叶えられないこと、したくても出来ないこと、感じたくてもどかしいことを、僕と言う存在を創りだすことによって満たしているし、叶えている。でも、僕は、ただ使われているのではなくて、一人の個としての尊厳を持つし、意志も持つ。それ自体が、お母さんの望みだから。
お母さんが僕を欲して創りだしたのだから良くわかるはずだよ。僕と言う存在の意味を。
僕を世話しながらお母さんは、創造主のように強くなり、無限の力を持ち、全てを喜びにして、全てと立ち向かう勇気を持つ。その過程の中から、自分が捨てたくてたまらなかった“弱さ”や“ずるさ”や“面倒くさい”と捉えている自分の性質を抜きだしている。けれど、せっかく手放せるようになった自分の嫌いな面を、お母さんは大切に持っている。僕と言う存在として。
お母さんは自分の中から自分の嫌いな面を取り出してみたら、それは出た途端に形を変え、性質を変え、まるで生き物のように、まるで赤ちゃんのようにケラケラと笑ってお母さんにまとわりついているんだ。それが、僕の正体。
僕が先に生まれているから、僕と関わったことで出てきたお母さんの嫌いな自分の性質を僕だっていうのは変だと感じるかもしれないけど、僕が先に生まれているけれど、僕はお母さんが手放したいと感じている性質を吸収するために生まれたのだから本当だよ。
お母さんが自分のことを嫌いと感じる、お母さんが手放したい性質で出来ているのが、僕。
そんな僕がお母さんにまとわりついてみると、お母さんは、自分が手放そうとして一旦受け取らせた性質そのものの僕を見ると、意外にも自分で持っていた時の性質とは別物に見えているみたい。
自分の手放したいと思っていた性質が、こんなにも愛くるしく、周りを楽にさせたり、癒すものだとは思わなかったんだと思うよ。
お母さんは、自分の性質を整えるために僕と言う“自分”を創り出し、“自分”で自分を支えて強くなろうとしたんだ。
つまり、お母さんが僕を創りだしてくれたということはね、“僕が生まれてきたから自分が強くなって、僕と関わることで自分が変わったと想っている部分”は、お母さん自身がその作業をひとりでやっているってことなんだよ。
だからといって僕が存在しないようなものだと言っているんじゃなくて、僕はお母さんの成長の過程で生まれたけれど、これから先は自分の意志と自分の魂を自分が創り上げて、来世に繋げていって独り立ちするんだ!
僕のあらゆる意味での生みの親、それが僕のお母さん。
けれど、やっぱり、お母さんにとって僕は、お母さん自身。僕が今世でも来世でも経験することは、例えお母さんが見ていなくても、感じていなくても、お母さんの魂の血となり肉となり、もっと大きな寛容の存在に自分を育てていくことになるんだ。
お母さんは、自分の中から弱さやずるさや面倒くささを取り出そうとしてはみたものの、完全に手放さず、それを注ぐために僕を用意した。それは、自分の中にあった嫌な面が、実は悪いものではなく、それを持つ自分こそが完璧で、実は愛おしく思っていることに薄々気づいていたからじゃないのかな?
僕は、お母さんが自分で嫌だと思っていた性質で主に形成されているけれど、こんなに愛される存在だよ。それを、どう捉える?
きっとね、これから先にお母さんが自分の中に感じる良い面や完璧な面も、お母さんの想い一つで、また嫌な面に性質を変えてしまうこともあると思うんだ。
自分を好きになれるように自分の駄目な面を正していこうと思っても、その奥にある満たされない何かが原因になっていれば、どんなに完璧になったと思えても、その先に又劣等感が起きるよ。
それは、お母さんの魂が求めているものが、僕とは真逆にいるような完璧な人間像になることではなくて、僕(お母さんが嫌いな自分の性質)と一緒に人生を楽しむことであって、僕とともに喜びを見出すことであって、僕とともに存在し続けることでしか、自分の苦しみからの解放がなされないって気付くことだと思うんだ。
いわゆる欠点だらけ、の僕は、とても人生を慈しめているし、与えられるあらゆるものは、それが苦難に見られても僕にとっては人間としての基礎となるあらゆる性質や感情を育てるものなんだ。僕を構築してゆく全ての大切なものたち。それがないと、僕は僕になれないし、僕であり続けることも出来ない。僕のしっかりとした構成組織たちなんだ。
僕はお母さん。お母さんは僕。僕はお母さんの人生を自分のものとして感じ取って今世での経験値にする。だから、一気に2人分の人生の経験値、それ以上。
お母さんも、僕が経験している人生を自分の人生と感じてくれれば、それは僕のお母さんとしてだけの経験値ではなくて、僕自身の経験を手にすることが出来る。
僕の人生ってね、どんなに完璧な人間よりも、尊くて楽しい魂の学びが詰まっているんだよ!それは、お母さん自身が学んできたものだよ。僕を見ながら自分の魂の歴史を想い出してね、そして、僕を通して見ることで自分の歴史を全肯定していってね!
僕を創りだしてくれたお礼に、僕からお母さんへのプレゼントだよ。
椋木和美
- 2014年10月10日 17:12 /
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