【亡き父からのスピリチュアルレター】あなたとの確執、その関わり方の意味
亡くなった方からのメッセージを受け取りたい、そうご依頼があることがよくあります。
そのメッセージを読み取る際、その方が生前お話しされていただろう口調で話しておられる場合もありますし、もはや魂の起源へと還られているようなご様子でメッセージを伝えてこられる場合もあります。
無念さを抱えたり、納得がいかず、終えられた人生をこうすればよかったのか!ああすれば良かったのか!と何度もシミュレーションするのに大忙しで、遺されている家族にメッセージを伝えるどころではない場合も、ございます。それはとても一生懸命に命を生きる作業であり、美しい作業なのですが、それでも遺されたご家族は、自分たちのことを心配して想ってくれて、そのことしか考えていないだろう愛のある励ましのメッセージを目の前で待たれるのです。それに対して、『ご主人は自分の人生を振り返っていることに一生懸命です。』とどう誤解なく伝えるられるか。本当に、学びの連続です。
今日ご紹介する【亡き父からのスピリチュアルメッセージレター】は、これまでご家族のことでの【お返事レター】を何度も共有させていただいたT様からのご提供です。
彼女と亡きお父様の別れ方、そしてその先にある深い繋がり方にふれさせていただき、わたしの親族にもあった親子の確執などを感じなおし、そのような関わり方にある愛の形、学びの意味を再確認させていただきました。
彼女のお父様は、もはや彼女の守護霊様のような口調で穏やかに深くメッセージを放たれ、その穏やかさから人生に納得されて次の転生への準備へ清々しい想いで向かわれることと思います。わたしたちの終わりのない学びに身を引き締めつつ、この瞬間に関わらせていただきましたことに深く感謝いたします。
メッセージをご提供いただき、いつもいつもありがとうございます。
【ご依頼文】
こちらで何度か(入院中の)母と父のことで相談していましたが、入院中だった父が亡くなりました。
父と私は頑固で純粋なところが似ていていたため、(心の中ではお互いに好きだったにも関わらず)喧嘩して仲直りしないままに父は亡くなってしまいました。
お通夜の席でいとこから、亡くなる前に父が私に対して悪かったといとこにこぼしていたことを知らされました。悲しいですが、結局、亡くなってからでないと素直になれない父と私でした。
私は父をずっと許せず、頑なにお見舞いにも行きませんでしたが、亡くなる2週間前に、妹から「父さん、危ないかもよ」と聞いて慌てて(小学校1年生の自閉症の)息子を連れて病院に駆けつけた次第です。
また、(私のきょうだいは、母が認知症が進んでしまったことを父に内緒にしていたのですが)、私は父に告げてしまいました。このことが、父の生きる気力をなくしてしまった理由でもあるのでしょうか。
できることなら、父から私へのメッセージが欲しい。私からも父へ「本当は大好きだったんだよ」と伝えたい。
どうぞよろしくお願いします。
【亡き父からのスピリチュアルレター】
あなたを理解するのは簡単です。わたしも同じ立場であれば、あなたと常に同じことをしただろうと思うからです。
けんかしたこと、そして最後まで仲直りしなかったことで、わたしはあなたの心の中に“わだかまり”と称した愛で生き続けることができるでしょう。それが、わたしたちが望んだ今世での最期であり、これからの繋がり方なのです。
あなたはわたしを理解しています。なぜ直接素直に謝れなかったのか、そして、何に悔いを残しているのか、でもそうしか生きられないわたしを、誰よりもあなたの魂は理解出来るのです。
私の人生に悔いがないと言えば嘘になります。わたしは、あらゆることに天邪鬼だったように見られたと思うのです。素直になれないのは、自分を心の底から愛してもらうことが照れくさく、それによって相手が自分をかけがえのない存在だと思ってしまうと、相手とわたしの別れは辛いものになる。
わたしの魂は、今になってすべてを思い出してみると、愛する人との別れを受け入れられず哀しみ続け、立ち直れず卑屈になり、誰かに支えてほしいと淋しがっていたようです。そんな自分を思い出すと、あなたの父として生きた人生は、立派な成長であったと思うのです。
肉親だからと言ってその関係に縛られ縛りつけることのないように生きられたことは、何にも代えがたい喜びの記憶になるでしょう。
わたしは生まれ変わりの中で家系に縛り付けられ、家族の関係に縛り付けられ、愛する人に縛り付けられ、しかしそこから離れる勇気も、相手にはっきりと否定の言葉を伝えることも出来なかったのです。
そして、そのような生き方をした自分をどこかで認められず満足せず、自分の弱さを棚に上げ、人生が納得いかないものになったことを人のせいにしていたのです。
しかし、今回はあなたの協力のもと、家族と喧嘩ができ、家族を自分との関係や役割に縛り付けなくても済んだという経験と記憶を与えてもらえたのです。本当に、感謝しかないのです。あなたも家族が自分の犠牲になることを望まず、自分の意志を通せと言っていたようにも思えるのです。あなたの強さは、わたしへの手助けであったと思います。
わたしがこれまでの経験で家族に縛られ、そこから逃げ出せずに自分の意志を曲げ続けたのは、拒絶を自分が表してしまうと、相手がとても耐えられるような魂ではないと感じてしまったからです。自分が相手を傷つけることが怖かったのです。それをしてしまった後の罪悪感や、それによって相手が崩れてゆく様子をみることを、わたしは耐えられないと思ったのです。
しかし、あなたの魂は違いました。わたしを理解し、わたしが何をしても何を言っても、その中に家族としての信頼感や愛を崩すことなく、わたしを嫌い罵倒してくれていたのです。わたしにはその支え方が必要だったのです。
あなたは強いのです。その強さを感じ取ることができたことで、わたしはあなたに信頼を寄せて自分の表現できずに苦しかった魂の膿を吐き出させてもらったのです。
わたしは、あなたに甘えていたのでしょう。そして、あなたもわたしに甘えてくれていたのでしょう。
お母さんのことを伝えたことも、それと同じことです。
お母さんがもし、私が逝くのを恐れ、淋しがり、悲しがり、絶望すると想像したなら、わたしはそうさせる自分を感じながら死(別れ)を迎えなくてはならなかったのです。
あなたが事実を伝えてくれたことによって、わたしは何の気兼ねもなく安心して別れを迎えることが出来たのです。
あなたもそれを解っているはずです。わたしが本当に苦しむことは、あなたはわたしにはしないのです。それは過去においてもずっとそうでした。あなたがわたしにしてくれたすべては、わたしが魂の奥底で負担となっていた義務感や犠牲となる記憶をきれいに解消させてゆくことばかりだったようです。
そのことに当時気付いていたわけではありませんが、不快であるはずの言動も、わたしはそれほど苦しめられることはなく、開放感と安心感さえも得ていたのです。
その時は深く考えることを避けていましたが、今こうして自分の人生を振り返るとき、素直に事実を見ることが出来、そして受け入れる自分があるのです。
あなたもきっと、同じ経験をするのでしょう。
「本当は大好きだった」それはお互いにそうであったようです。わたしと似ているあなたの魂も、それを素直には表現できず、天邪鬼に表現するのです。
いいですか。その気持ちの裏にある魂の記憶は、わたしとあなたで共有するものなのです。
わたしたちの魂は、愛するものをひどく愛しすぎてしまい、使命感と責任に自ら押しつぶされそうになるのです。
それがあなたのように人類への愛になると、その使命感と責任はどれほど重いものと感じ、自分を無力だと思うでしょうか。想像がつくはずです。
あなたも、私と同じ経験をしなくてはなりません。
愛するものを突き放す。依存させない。これは私たち家系の学びなのです。この経験を必要とする魂がこの家系に集まります。わたしたちは依存しあわず自立し、自由を得てその学びを得なくてはならないのです。本当に愛して助けるとはどういうことか、それがわたしたちのテーマです。
あなたがすべての子供に責任と愛を感じすぎれば、向き合う魂は私たちのようにその関係に縛られるのです。不自由に見える魂であっても、わたしにしたと同じように向き合ってください。
愛する子供であっても、生まれた時から死ぬまで抱きしめ続けて生きることは出来ないのです。
しかし、わたしたちの魂はそれをしなくてはならないと苦しんでしまうのです。
あなたがわたしに強く厳しい面を示してくれたおかげで、わたしはその使命感や強すぎる愛を手放せたのです。今度は、わたしがあなたを助ける番です。
そのために、あなたはわたしをあなたの記憶に強くとどめたのだとは思いませんか?
あなたは、自分一人では心細く、自分一人では強く周りを突き放すことは出来ないと思ったのです。
いいえ、わたしがあなたと離れがたく、愛するがゆえに共同作業を求めているのかもしれません。勝手な申し出かもしれません。
しかし、あなたは解っているはずです。あなたが愛する人たちを、彼らの自立心を育て、彼らの力を心の底から信頼し、関係が崩れる恐れや見放すような罪悪感を手放さないといけないと。
わたしは、あなたを手伝います。あなたの記憶となって、あなたの言葉となって、あなたの表情となって、あなたの強い意志と自分を信じる力となって、あなたを手助けするのです。
まさか、わたしがこのようなことを考えられる人間だとは思いもしなかったかもしれません。
わたしたちは、自分が思うよりもはるかに賢く、力を持ち、魂の記憶を持ち続けて、常に成長し続けているようです。
わたしがそれを想い出し感動している瞬間に、このように想いを言葉に出すチャンスをくれたのは、あなたがわたしを感じ、この溢れる想いを感じ取ってくれたからだろうと思っています。
残された家族にも、相手がどんな状況にあってもあなたが自分を信頼し、相手を信頼したうえでなされることはすべて正解なのです。自分がそうしてしまうことには意味があると自分を信頼してください。
相手の状況に遠慮し同情すれば、あなたがまた相手への強い愛と責任感に飲み込まれることとなり、自らの自立心と相手の自立心を阻止してしまうことになるでしょう。
相手の状況に屈せず、どれほど相手を同情せず信頼し、彼らが堪能している人生を感じて邪魔をしないでいえるのか。それだけを考えてください。
母親には今までのように接してあげてください。彼女には特別求めるものはありません。自分の世界にいます。わたしが話しかけましょう。
あなたの気持ちは、苦しいほど伝わってきます。しかし、この苦しみは魂の喜びであり、あなたと分かち合っているものです。
ありがとう、ありがとう。愛しているはやっぱり恥ずかしい。ありがとう。
椋木和美
- 2015年01月13日 21:58 /
Comment(0)
コメントありがとうございます
- コメントはまだありません。