学校に行きたくない、でも未来の希望は感じるわたしってダメ?
今回のメッセージは、学校に行きづらいお子さんへ降ろしたメッセージです。これは、彼女に向けたメッセージであり、ご依頼をくださったお母様へ向けたメッセージでもあります。
彼女のことを感じると、自分の子どもの頃を想い出します。わたしはとても学校に行きたくない子でした。保健室によく行く子でした。学校では緊張することの連続で、体育なんて大嫌いで、プールの日は毎回生理でした。人が出来ることがなかなか出来ないし、人が理解できることがなかなか理解できないし、ちょっと得意なことがあっても、それは対して役に立たないことで、声は小さ過ぎて聞こえないし、男子は苦手だったし、嫌なことがあるとすぐに学校を休む子で、嫌なことからすぐに逃げる自分に劣等感があるものの変えられない。ウダウダするわたしに情の深い先生方が関わり、看護学校は在学可能な6年をめいっぱい在籍することになり、ここを辞めたら、わたしの生きる道などないだろうと不安に想いながらも、本を読んだり好きなことには没頭できる。神経質なのにどこか不真面目で、本当にダメな自分…。そんな子ども時代を引きずって、何度も引きこもった若かりし頃…。皆が出来ることを簡単に出来ないんだということは理解していたものの、だからといって、そんなわたしの他とは別な、特別な生き方さえも見つけられない日々。
世の中には深刻な不登校や引きこもりのご家族を持つ方たちのお悩みがあると思います。わたしは軽い引きこもりで済みましたが(セクハラでも何でもちょっと挫折経験が中途半端です。)何十年という年月引きこもっている方たちの大変さも多少はわかるつもりです。何故なら、わたしの叔父も、何十年もの間引きこもりだからです。けれども、親族から問題視されているこの叔父がいてくれておかげで、私自身が引きこもりながら常に、『家系に二人の引きこもりはまずい…』という想いがよぎり、わたしは引きこもりにならずに済んだと思っています。わたしは、叔父の存在が家系の引きこもりたい想いを持つ者たちの素因を吸ってくれているように感じています。だから、叔父が行方不明になったときは、情報提供された人気のない場所に真夜中でも一人で行こうと思え、わたしに驚き山の暗がりに走り去った叔父に向かって、『おじちゃ~ん、お願いだから、帰ってきて~(泣)』と叫び、家系で誰一人叔父を探し迎えに行こうとしない親族を怒鳴り散らし、一人発狂しまくって探しました。この引きこもりの何十年も顔を見ないままの叔父が山中で死んだりしたら、わたしはこの先生きてゆけないと思ったのです(無事帰ってきました)。この話は話せば長くなる…。
引きこもらなくてはならない時期があり、引きこもらなくてはならない事情があり、引きこもらなくてはならない家系の歪がある。
このメッセージを降ろした彼女には、その素因を吸ってくれるであろう親族が、いらっしゃいます。その親族にも縁がありますが、その女性はこう言います。『わかれた男が不幸になってくれた方が嬉しい!』わたしは、それを『うん、そう』と聞きます。全てを駄目よ!と決めつけることが出来ない、わたしたちの厄介な人生。家系の厄介な存在が、実は家系の厄介なカルマや歪を吸い取ってくれている。
このメッセージを降ろした彼女に穏やかな人生があるよう、わたしは彼女を昔の自分だと思いながら包み込み守ります。彼女はわたしのように人生のほんの一時の停滞を経験していると感じるのです。全ての学校に行きたくない子、外に出て人と関わることが出来ない子たちも、わたしのカルマや歪を吸い取ってくれている。だから、彼らは、わたしを生かし動かし続けるでしょう。
皆さんのメッセージの共有が、彼女を温かく守ってくれます。ありがとうございます。
椋木和美
~守護霊様からのメッセージレター~
今のあなたの未来は、あなたを守る大人によって決定します。あなたを守る大人は、あなたを支配もします。
しかし、それは今のあなたの周りにいる大人の人たちの役目でもあります。あと数年で、その役目を周りが果たし終えると、あなたの未来はあなた自身によって決定してゆきます。
あなたは支配されることから逃れられると、縛られることもなく、嫌なことをする必要もなくなり、自由に生きることが出来るようになります。
あなたはきっと、緊張感を緩めることが出来るでしょう。
そして、自由をどう感じて喜びにするのか、手探りで進み始めるのです。
自由とは喜びと解放であり、そして不安と緊張でもあるのです。
そのために、自由を得るための準備を今から始めましょう。
どんな準備かと言うと、あなたが興味のあるものをいつも頭に浮かべて考えるという訓練です。どんなことでもかまいません。好きなもの、ちょっとでも興味のあることに意識を向け続けましょう。
出来ないことや嫌いなことで頭の中を埋め続けることがないように、そんなことを考える暇がないくらいに好きなことや面白いと思うことを考えるのです。
その時に大切なことは、こんな(くだらない)ことが好きだと言ってはいけない、そういうことを考えないことです。
それが漫画を読むことでも、おしゃれをすることでも、ただ考え事をすることでも良いのです。それを今のあなたはきっとくだらないことだと思うのでしょう。しかし、あなたが興味を持ち、楽しいと思い、嫌なことを忘れさせるような好きなことで気持ちをいっぱいにする、その気持ちを素直に楽しむことは、とても大切なことなのです。
あなたの好きなことは何ですか?
あなたの好きなことは、どんなにささいなことでも、あなたをこの先で助け、支えてくれるのです。
嫌なことはしなくてもいい。嫌なことを無理してまでしなくてもいいのです。
あなたはまだ、無理をしようとしているでしょう。もっとこれから我慢しようとするでしょう。そうすることは、あなたに嫌なものを、もっと嫌いで辛いものにしてしまい、いま少しだけ嫌いなものを大嫌いなものにしてしまうのです。
小さな無理、小さな我慢、それらは今のあなたにとって、自分の楽しむ力を弱め始めるサインだと思ってください。
無理をして我慢をして努力をして弱音を吐かないときが人生には必要です。しかし、あなたが無理をして我慢をして努力をして弱音を吐かないことと今思っている事は、窮屈であなたの成長に必要のないものだとすれば、あなたは今それをする必要はないのです。
今のあなたにとっての努力とは
●我慢をして努力しない、そんな自分だと感じても責めない努力。
●好きなことだけしようとする自分を逃げてばかりでダメだと思わない努力。
●周りの人たちが自分のことを、努力していると思わないのではないかと怖れる気持ちに耐える努力。
●周りの期待に沿えないと思い、無理をしようとする自分を制止する努力。
以上の努力なのです。
あなたが楽しむ力を弱めれば、あなたは嫌いなことをもっと嫌いだと思う力を強めてしまいます。
今は嫌なことから逃げて、楽しむことに没頭する勇気と努力こそが、自分を守るのです。
あなたの好きなことは何でも、あなたの生きる勇気と可能性を強めてゆきます。興味を持つこと、嫌なことを忘れるほど夢中になれるものは何でも、どんなにささいなものであっても、どうぞ大切にして楽しんでください。
楽しいことだけに没頭してしまう罪悪感や遠慮があっても、それは確実に、あなたの人生の道を開くエネルギーとなるでしょう。
椋木和美
- 2015年11月10日 22:30 /
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