大いなる叡智、神聖なる存在、“彼ら”はわたしたちこそ特別だと言わんばかりに教えを吐露し、節操もなく垂れ流す。
ブログは更新しておりませんが、独り心の中で皆様に話しかけております。いかがお過ごしでしょうか。
結構話しかけに応えてくれる方が多いので(笑)、ブログを書いているような錯覚になります。想ったことを、頭の中では発信しております。
さて、まともな話に戻りまして、本日はスピリチュアルメッセージを共有させていただきます。メッセージをお渡ししたのちにブログでの共有を快諾していただけるお返事をすぐにいただきながらも、随分とわたしのところで寝かせてしまっているメッセージがございます。
が、しかし、今回は新しバージョンです。ご提供していただいたお客様のところで半年寝かせていただいたメッセージでございます。メッセージをお渡ししして半年後に、メッセージのブログでの共有とメールセミナーの申し込みのご連絡をいただきました。有り難いことです。
これは、単に寝かせていただいたものではありません。彼女からいただいたメッセージから、それは伝わってまいります。
『あれから何度も何度もメッセージを読み返してきました。できるだけ早く感想をお返しし、少しでもお役にたてるなら、ッセージを共有していただこうと思っておりましたが、あまりにもたくさんの思いが胸にあふれてくるので、書いているうちにどこからどこまで書いたらいいのかわからなくなってしまったり、元来文章を書くことが苦手なこともあり、ついにはこんなに月日が経ってしまいました。
メッセージを読むことで、自分に感じている違和感のようなものの原因が少しわかったような気がします。「ただ生きる」と自分ではなんだかあきらめのような気持ちで生きてきたのですが、「美しく、潔く生きる」との言葉に、それってどうしたらいいの?という思いもあります。やはり支離滅裂な文章になってしまいました』
いいえ、とんでもございません。
彼女はとても感受性が豊かです。わたしは、ご連絡がない間も、彼女のことを感じることが多々ありました。というより、名前が浮かんでくる、ということの方が正しいのかもしれません。とても印象に残る珍しいお名前だったこともありますが、ふっと、お名前が浮かんでくるのです。しかし、彼女はものは申さぬと言う感じです。
彼女の感受性で、お渡ししたスピリチュアルメッセージを丹念に読み込んでいただいたのです。その行間からは彼女が一人で全てを処理しようと一生懸命に向き合っていたエネルギーがにじんでいます。
彼女はいつも、儚げで美しく、しかし、強いのです。
人生における厳しさを、彼女(の魂)は知り尽くしている。よって過度な期待もしない。しかし彼女は諦めず自ら希望を創り出すのです。
このメッセージを渡した(彼女の源である)霊的な存在曰く、”力まない生き方だけれど、無気力ではなく、美しくあるけれど、そのために必死さを出すわけでも、周りと自分を比べるわけでもない。彼女はただ淡々と潔いのです。彼女の道は険しい。そして孤独。しかし、他の誰よりも潔く“特別な生き方”を選択しているのです。彼女は他のみんなと同じで何ら特別ではない。しかし、彼女が特別な人たちだと思う人もまた特別ではないのです。けれども、彼女の感覚、彼女の選んだ生き方は、本物の特別なのです。”
本物の特別な生き方は、特別を探す人たちから見れば何ら特別ではない生き方であることもある。
あなたは、メッセージの中で伝えた”彼ら”が仕掛けた地面のない罠の世界で、あなたが自ら立つ位置を決めるのです。そして、そこがあなたの世界の地表となるのです。
世界を創りましょう。そこに力強く立ち、静かに佇み、互いの存在する意味を魂の奥深くで考えましょう、ともに。
わたしはこのメッセージを降ろさせてくれた、彼女の魂が大好きです。彼女の不器用にも見える内なる想いは、わたしに深く聡明に語りかけてくるのです。
自分が誰かを感動させていると悦に入っているような饒舌カウンセラーや雄弁なカリスマ指導者。
彼らに対する違和感を拭えないひとたちに、是非、彼女のこのメッセージを共有してほしいのです
彼女が読み込んで膨らませ拡大させたメッセージです。彼女の魂が創り上げてきた思想、そしてその特別な力を感じてください。
あなたもきっと、何かを揺さぶられるでしょう。
R様、メッセージをご提供いただき、ありがとうございます。温かいお言葉に心より感謝いたします。
あなたの「美しく、潔く生きる」姿、それは、あなたの”想うこと””感じること””後悔してしまうこと”全てを美しく潔いゆえのものだと知ってゆくことから見つけてゆけると思います。それらは何一つ、否定されるものではない。それを伝えるために、わたしはあなたと同じように想い、感じ、後悔し続けるでしょう。それは私たちの問題ではなく異常性でもなく、才能です。それをともに感じ合えるメールセミナーにしたいと思っております。どうぞ、よろしくお願いいたします。
和美
~メッセージレター~
誰にも本性を見せず、あなたは思慮深く静かに佇む。あなた自身は、静かに佇んでいるつもりも、わかった風にしているつもりもないでしょう。ただ、あなたは、時々“本当の自分”は何を感じ、どう反応したいのかを考えているだけなのです。
あなたは、その瞬間瞬間に、そうありたいと感じた自分を表現するつもりなのですが、それが自然にわいてこないためクールになるのです。
あなたはどんな時も、瞬間的に感情的になることが出来ません。湧き上がる感情とは、あなただけのものではなく、あなたと繋がっている宇宙的な叡智の意識全体が感じたものなのです。あなたにとって感情とは、自分を知るものではなく、世の中を知るためのものです。あなたが感情を起こす、目の前の人や目の前の出来事、そしてそれと接して起きる自分の感情さえも、繋がる叡智に情報を渡すために起こされているものです。
まるでサイボーグのようにあなたは情報をかき集める仕事に淡々と臨んできました。あなたは、そんな自分の本当の姿について、知りたいような知りたくないような、知ることに何の意味もないような知ることで大きく何かが変化していくような気がしているはずです。
自分のことを知ってしまえば、きっと、自分のことを特別な存在ではないと知ってしまう。そうどこかで感じるのです。あなたは、淡々と何かにつき動かされる自分に「それでいい」と感じながらも、自分が特別な存在であることを望まなくてはならないとも思い始めています。
全ての存在は、特別である。そのようなスピリチュアルな言葉を信じる者たちに対し「何も知らないから」と冷ややかな視線を送りながらも、それを信じられるおめでたい存在たちを羨ましくも思うのです。
あなたは知っているはずです。「あなたは特別」という意味をおめでたい存在たちは取り違えてしまっているだけだと。彼らの期待は、「あなたは特別=羨ましがられるような存在である」というもの。
彼らは知らない、「あなたは選らばれし存在。選りすぐりの特別な存在」だという言葉にわたしたちは騙されてここにいる、そして役割を持たされている、まるで奴隷のように。
あなたは、生きてゆく喜びとは、特別だと思い込まされて利用されている自分を騙し続けるための幻想だと。
現に、選ばれし者(完璧な存在)と言われながらも、わたしたちは常に、我を捨てろ、悔い改めろ、崇高なる、神聖なる“特別な存在に”貢献しろと言われるのです。これでは詐欺ではないか。
大いなる叡智、神聖なる存在、“彼ら”はわたしたちこそ特別だと言わんばかりに教えを吐露し、節操もなく垂れ流す。
自分の本当の姿を知って、それが自分にとって何の意味があるのだろうか。真理を追究したところで、そこに何があるのだろうか。所詮騙した“彼ら”が創り上げたでっち上げの真理など、またわたしたちを役割に縛り、思考(我)をなくさせるだけにすぎないと。
あなたは思うのです、悟るのです。わたしたちは、ただ、生きるべきなのではないだろうかと。
自分が特別な存在ではないこと、特別かどうかを考えることもくだらないことで、賢く生きても、誰かを苦しめるような生き方をしても、その結果魂は何も得ることもなく、何も失うこともない。しかし、この事実を受け止めながら、ただ生きなくてならない苦しみと闘い、闘うことから解放されてゆく…。
ただ、生きる。それがあなたの答えであるはずです。
そんなあなたは今、意欲的に生きながら、無気力や無力感を感じ生きています。それは、意味のない生をただ生きると感じる苦悩からの解放のために闘っているからです。
あなたは意欲的に生きながら、その先で自分は何を欲しいと思っているかは見えてこないのです。あなたが楽しみ喜び、感動し悔しがる、その頑張りは、何のためにあるものかをふと感じ取ってしまうのです。
ただ、生きる。それが出来るだろうかと無気力になりながらも、“彼ら”に服従したくはないと静かに潔く佇むのです。それがあなたの生き方です。
お分かりですね、あなたは非常に孤独な生き方を選択しているのです。ひょっとすると“彼ら”は本当に正しい存在なのかもしれない。しかし、それでもあなたは、“彼ら”を疑問に思わないと生きることが出来ないのです。
あなたはただ一人でこの世を生きているような孤独感と、“彼ら”の息遣いを同時に感じ、それとともに生きています。
あなたは美しく潔く生きたいのです。優しいのでもなく、逞しいのでもなく、賢くありたいのでもない。
宇宙のように美しく、そして潔く生きたいのです。
椋木和美
- 2016年02月04日 21:20 /
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