憤っていいよ!怒っていいよ!それはわたしとあなたの役割だから。
いま、それぞれの辛さを抱えて、疲れる生活や役割に追われて生きている人たちがたくさんいて、自分の感情を理解してほしいと爆発させたい気持ちを抱え抑えながら、それに耐え、生きることに励んでいます。
スピリチュアルなことに触れてきた人ならば、きっと、苦境にある自分の学びに視点を向けるよう努力し、自分の平常心と献身的な心をしぼませないようにするでしょう。
これまで何度も、一番理解してほしいと思う存在に対して、絶対に理解してはくれないのだという諦めの気持ちを十分に感じてきたはずなのに、それでも、一番理解してくれなければならないだろう存在が、こんな状況ならば、自分の心痛や買って出た役割を、さすがに感じ取ってくれるだろうといった甘えがまだまだ出るものなのだ。
この状況で、これまでこれだけのことをやってきたのだから、さすがに今回ばかりはねぎらってくれると、まだどこかで期待をして、諦めきれない気持ちがあったのだろうか。
それぐらいの常識はあるだろうと。
でも、やっぱり、ないよね。
相手は、予想以上にね、クズなんですよ。
悪い言葉を遣ってね、罵ってやりましょうよ、クズめ!
彼らは、わたしたちの予想をはるかに超える”暴言”や”自分勝手な行動”をわたしたちに向けて何度も投げかけてきます。
この状況で、それを、今の私に言うのか!?
まだそんなクッダラないことをこの状況で考えていて、今の私にお願いするのか!?
そこにわたしたちの立場への配慮や思い入れなどなく、言葉だけの『悪いね…』『大変だね…』が不快に耳に残る。
彼らは、きっと、頼りたい人や愛されたい人に、そのように扱われてきたのだろう。
わたしは、それを終わらせたい。
『あんたの悪いねなんて言葉は大嘘だからね、信じないよ』とわたしは相手に噛みつく。
『あなたの立場で、他に、今の私にかける言葉はないのか』と相手をののしる。
結局彼らが気にしているのは、自分がしたいことや気にかかっていることを早くす済ませたいだけなのだ。
人から良く思われるための行動にしか頭が回らない、結果的に人に対して無礼をする。
そういう私たちの気持ちなど、決して理解出来ない彼らは、わたしたちを怖いと思い、自分がこんなにも気を遣っているのに理解してもらえず冷たくされる被害者だと思い、彼らは彼らのために決して動こうとしない自分をののしらない相手に良い顔を見せ、重要なことを頼み、信頼を渡すのです。
わたしたちが彼らに自分の感情を出せば、いつも悪者。
彼らはもっと逆上する。自分はこれほどに尽くしてきたのに!と。
ちゃんちゃらおかしいでしょ、あけて通すのが愛、とわたしはしない。
わたしは、そういうことに当たり障りなくあけて通して問題を膨らませてきた人よりね、彼らに感情をぶつけた、そういう”わるもん”の味方だよね。
”わるもん”にされたあなた(自分)を、わたしは褒めてあげるからね。
大いに、非常識な人たちに、憤っていこうじゃありませんか!
感傷的になっている場合じゃない、悪態つこう!
それが、”わたし”と”あなた”の共通する役割だからね。
和美
- 2016年04月20日 22:50 /
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