【病気になる意味】入院生活での出逢いと霊視カルテ交換
今年の夏、手術のため入院した病院で、わたしはひっそりと静かに淋しく過ごす予定でした。
淋しいとはいえ、地元から三時間近く離れた病院なので、すっぴん眼鏡姿(私メイクをとったらすごいのよ)でも知り合いに見られる心配もなし。
一年のうちに三回も救急車を呼び三人の入退院、葬儀の世話をしていたわたしが、とうとう入院になったのだ。何となく予期してはいたが。
入院が一週間とはいえ、病気のストレスと体調不良のなかで父親や叔父の留守の準備をするのと母親の転院のための準備を同時にするのは本当に疲れてしまった。食事も改善したせいか長年掲げていた理想体重になったものの、ちょっと不健康そうにやつれ、目標は具体的に書かねばならぬと痛感。”健康的に”○㎏になる!って掲げないとね。おまけにすっぴん眼鏡姿(しつこいけれど私メイクをとったらすごいのよ)だもの、自分でも変に安心するくらいみすぼらしい様相となり、ひっそりと淋しく過ごすには申し分のない姿になっていた。
どっぷりと自分との対話。瞑想でもするのか…。
しかし、色々起きちゃうわたし。その予定のはずが、急遽教授から話があると入院予定日の2日前に行くと、そのまま入院。しかも術式が変わった上に入院は17日になってしまった。実家の留守の準備一週間だけなのよ…、なんてことも言ってもおられず、ええいままよ!とまな板の鯉。あとは諸問題と私の世話は兄に任せて、父には何とかやり過ごしてもらおう。
自分のための時間をどう過ごしてよいのかわからないものの、おそらくよからぬ病気であろうと感じた時に『これで休める!?わたし!!』と即座に思ったのだから、この時間を堪能しなければ。
けれどもそんなぼーっとした休息の時にも出逢いはあるもので、茶目っ気たっぷりな看護師さんの彼女は楽しそうにこう話しかけてくれた。
『ムクノキさんのお仕事にとっても興味があります~♪』(入院時の問診で看護師さんになぜかネイリスト?と聞かれ正直に言った)
こうみえて?病気になったときに この仕事を辞めるべきなのかとふとよぎったわたしにとってはまさかの反応、まさかの展開、まさかのノリの良さ。
こんなにみすぼらしくいるのに、興味を持ってそこにふれてもらえるのかと仰天。わたし、こんな感じでおりますが、大丈夫なの??
スピリチュアルを勉強しているという彼女は、マヤ歴と易の卦を駆使し、忙しいであろうにわたしの生年月日からカルテを作ってきてくれました。
彼女のカルテにある言葉たちは、わたしの迷いや諦めや、それとともに生じた期待と可能性と発展をまるで見透かすように、わたしについて教えてくれました。
それは、自分の役割を確認させてもらう作業となって、弱りきったわたしを勇気づけ、霊的なお仕事を始める前に何度か言われた、『こういうお仕事は悪いものをたくさん受け取るから家族や自分自身が病気になって大変ですよ』という苦言やご心配をいただいた時に思ったことを思い出させるのです。
『それでも構わない、やる。』そこには一切の迷いも恐れもなかったのを今でもはっきりと想い出す。その決心通り、病気がわかった時も、その意味を問えば”禊”の文字が与えられ、良く理解し学ぼうとし、わたしは後悔など何もしていないと気付いてゆく。
わたしのカルテをつくってくれた彼女の名前はメッセンジャー。そのように彼女は他の方から伝えられていました。
入院中は何ものでもないわたしだと霊的感覚を封印していたわたしに、彼女はスピリチュアルに接してくれる。それによって、わたしはだんだんと彼女のスピリチュアルな背景を感じ取ってゆきます。
ひょっとしたら、この手術を機にわたしは霊的な力を封印する(すべき)のではないだろうか、術後は何も感じなくなるのではないかとも想像したりして。それはそれで受け入れるのだろうとまた想像し。けれども彼女の存在が、その流れをその答えのヒントをあっという間に導き出してくれたのです。
独りで悶絶しながら向き合うはずだったのに。
担当してくれる看護師さん、医師の方々にも、霊的な個々のエネルギーや性質を感じることをわたしは自分に許しました。
退院直前になって、担当してくださった看護師さんたちが霊的アドバイスを求めて下さったのも、かるくカウンセリングのようなアドバイスをすることになったのも、メッセンジャーである彼女がわたしに関わってくれたお蔭です。さらには、彼女の、医療従事者であるセクシーな義眼のパートナーさんまで退院の日に会いに来てくださり、”仲間”を感じるご縁に深く癒されました。
彼女をメッセンジャーと言うには物足りない感がある。わたしも彼女に、簡単な霊視カルテを書いてお渡ししたのです。
そのカルテを、今日は共有させていただきます。
退院から4か月以上経って、その間に、自分の治療よりまずは介護優先にして自分との向き合いは続きながら、ひとつの方向性というか、自分の身の置き場を見つけ出せたのが昨日あたりから。そこは心地よく、そこには多くの魂が待っていてくれる。そこにわたしはやっと歩んでゆける。繋がってきたたくさんの魂とともに。
わたしはこの間、彼女をずっと感じ続けていました。それと同じように、このブログで繋がり続けるあなたもずっと感じ続け、いわゆる脳内ブログを書き綴っていました。一日に数稿は書いていますよ。
わたしは、霊的な仕事をし続け、そう在り続けることを許されているのか。自分の迷いや痛みを受け止め包み込んでくれた入院生活。
いま彼女のカルテを共有することになったのは、彼女の変革にも関係があり、いまわたしが何かしらの答えに到達できたのは、あなたのシフトアップにも関係があるのではないかと思うのであります。
それではいってみましょう!メッセンジャーへのカルテです。共有よろしく!!
和美
(退院前日にお願いされた師長さんのカルテは、写真を撮っておくのを忘れてしまいました。なかなか視ごたえのある魂でした。解説をご希望でしたら、カルテの写真を撮って送ってくださいね。記事にさせていただきます。)
【霊視カルテ】
≪魂の性質≫
あなた自身の”好奇心”の全てが、あなたのスピリチュアルな作業となります。自身の”好奇心”によって自らを奮い立たせ、自らの生きる方向を確かめ、常に軌道修正をし続けるのです。そして、周りの人に対しては、相手に”興味を持ち”あなたの”好奇心”を感じさせてあげることで助け、導き、癒します。
≪魂のクセ≫
人々を導く方法は、魂の歴史として、傍らで支え、誘導し、見守る方法を得意とします。強くリーダーシップを生かそうとはしません。この方法はあなたをもちろん生かしますが、魂のクセでもあり、それ以外の方法をとることに畏れを感じてしまうことも多く、今までのやり方にこだわり楽な方法をとり続けることでもあります。よって、もしあなたが今までの導き方に飽きてしまい、ジレンマを感じていれば、あなたの周りには、優しく導き、付き添い、見守るだけでは問題を解決出来ない人々が集まり、増えてゆきます。
彼らはあなたに、もっと深い導きや手助けをしてくれと言い、そうでなければ甘え、そのくせあなたが終始監視しているようで拗ねたり、素直にならず、能力も反省も示せなくなるのです。それを見てあなたは、自分の力不足を感じてしまいます。この打開策は、あなた自身が自らの魂の歴史に敬意を示し(これまでの自分の正しさに敬意を示し)、違う能力を示す勇気を持つこととなるでしょう。
あなたはサポートすべき人たちをふさわしい場所まで連れては行かず、自分で歩かせ、その行く末さえ見守り続けることを止めるのです。それでも、あなたは、価値ある導きと癒しを行えると自分を認めてゆくことを求めてゆくでしょう。
≪魂のテーマ≫
大いなる存在と自分自身を”直接繋げ”、それを感じること。
続く…
- 2016年12月01日 23:36 /
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