#MeToo セクハラ被害者の苦悩?
日本では広がりにくいというこのハッシュタグ。
わたしもこのブログ上にてセクハラ被害を告白しましたが、セクハラ被害を訴える側の負担を当時は痛感致しました。
匿名でのコメント、個人的に送られるッセージでの誹謗中傷、攻撃、せせら笑い、それは異性に限りません。同性である女性からも、そのような目線で見られ、わたしのこのような告白を不快に思っている女性たちがいるのをはっきりと感じさせられたのです。その反応は、身近でもうっすらと感じとれました。
わたしの後の病気の原因に、この一連の告白での”痛み”や”怒り”が少なからずとも関係していると思っています。
霊的な仕事をすることの負担、誰かの恨みを買ってしまうような告白、知りたくないことを吐き出す者への不快感、そのどれもが、念として降りかかってくることを、わたしは否定はできません。
立ち向かうなど、しない方が良い!というケースもあることを否定できません。
けれども、その怒りと痛みをうんざりするほど感じてみても、わたしは、その攻撃にも、その念にも、負けたくなかったのです。
ぐったり疲れて帰宅すると、老犬だった愛犬マロンのおっきな身体にもたれながら弱気になって甘えながらも、
魂の奥底から湧き上がる力も感じていたのです。
くっそー
とわたしは吐き気のする渦の中から
「その攻撃、その念!上等だよ! 受けてたとうじゃないの!!!」
と立ち上がるのです。
もちろん、そこには同じく被害に遭って同じ想いを抱えていた方たちの応援が、大きく後押ししているからでもあります。
弱っちい自分が吐き気を越えたら、そこから、自分の底力が湧き上がるんですよ。
この落ち込みと、この立ち上がり、わたしは懲りずに何度も繰り返す。
念、念、念。
それで抑え込まれて
それで不幸に見舞われて
それで病気になって
それであんたらが喜び安心し納得するなら、
その不幸、その病気、本望なんじゃ、ぼけー。
お前らの念なんて、あたしの念でひとひねりじゃ、あほんだら。
悪いことをし、悪い念を送るのが間違っていると気がつけないやつらには、本当の念とはどういうものか、教えてあげるんだよ。
魂を再起不能なほどに傷つけられ、念を送られ、弱って不幸に見舞われても、わたしは這い上がって、ゾンビのように不死身な薄気味悪さを、あんたらの前に見せ付けに行ってやる。
それが、あたしの念での、ひとひねりなんじゃ、ぼけー!
さあ、ご一緒に。叫んでみましょう。仲間が応援してくれますよ。
癒して助けてくれた愛犬マロンがいなくなった後、多くの念を跳ね返す手伝いをしてもらうために、わたしは猫ちゃん11頭を保護しては看取っているのだろうか。
今は7頭になったけれど、彼らはわたしを守ってくれる。
あなたもわたしを守ってくれる、いつも感じているから知っている。ありがとう。
わたしたちも、あなたが念にやられて苦しんでいたら、守る。
わたしたちと意識を繋げて。
和美
- 2017年12月07日 20:37 /
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