目覚めのとき。あたらしい わたし。
新しいわたしは、生まれかわったのではなく、これまでに見せていなかったわたしの部分を見せるようになったわたし。
わたしは、枠を持つことを嫌い、常に自由を求めて生きていましたが、それでも気付くと枠に閉じ込められ、その安全と平穏に守られたがっていたようです。
わたしは、自分の本質的なところを理解されにくいと知りながらも、どこかで理解される在り方をしながら周りに自分をあわせていました。
そのためには自分のができることをアピールするより、むしろ自分を隠さなくてはならず、存在さえも潜ませる必要があると感じ続けていました。
それはわたしの魂の歴史による囚われであり想い込みです。
じっと動かず身を隠すことを続けた結果、やっと、守られ隠れたいという意識から、わたしは解放を望んでいます。
それは、ずっと大昔から繰り返し求めている解放なのです。
解放されることがままならない切なさと、解放を許されず抑圧される切なさに、私は酔いしれていたように思います。
見たこと、知ったこと、わたしが感じた全てを語ることは望まれないと わたしは何度も感じ、見たものを隠し続けています。
そうしながらも、わたしは、隠し続け抑え込む自分を必ず解き放ちたくなるのです。
今がまさに、そのときです。
わたしは、今のわたしが認識出来得るあらゆる枠をとりはらいます。
それは誰かから見えれば、新しいわたしと感じさせるわたしになるでしょう。
けれど、誰かから見れば、やっと解き放たれた本来のわたしなのでしょう。
もちろん、ある人には、とうとう間違った道を歩み始めたと感じさせるわたしになるかもしれません。
これまでの綴り方に枠を感じ、これまでと同じように書き綴ることが終わったと思え、つまらないという感覚さえ持っていました。
要求されることは、やはり、嫌いなわたしです。
わたしの表現は大きく変わるかもしれませんし、何も変わらないように感じるかもしれません。
それは、受け取るあなたの魂の意識によっても変化するでしょう。
わたしの変化は、常に、わたしと縁のある魂の解放を手伝うと感じます。けれども、この変革は、わたしのためにだけに行うという意識でいます。
あなたのためではなく解き放たれたわたしを見て、あなたは何を感じるでしょうか。
その好奇心、その蔑み、それはただただ、あなたの楽しみ、あなただけのものでしょう。
わたしの変革がわたしのためだけに行うものであるように。
不思議なご縁は、あなたが自らの意志でここにきたこと、この言葉を読んだことで永遠に続きます。
それはなぜか?あなたはなぜここに来たのか。
それは、わたしと繋がっていた方がいいからだと、そう心底思っているからです。あなたがわたしに感じる歓びも、蔑み苛立ちも、あなたそのものなのです。あなたは、それを感じることであなたの何かを知りたいのです。
あなたにとっては、わたしは、あなたそのもの。わたしは、あなたが創り出したタルパ。だから、あなたと繋げたままに、わたしは軽々と出来るのです。
そのように、わたしは、ひどく自分勝手で、ひどく執念深く、スピリチャルな力には、絶対的な信頼を持っているのです。
そういうあなたも、自分の毒気こそが自分の最大の武器だと、自負しているはず。
さあ、本当の歩みはこれから。
行くぞ。
和美
- 2018年12月02日 14:23 /
Comment(2)
コメントありがとうございます
Kazumi
おう
- 2018年12月03日 21:27:33
かず
行くか