8月15日という愛と感謝の日。

かなり昔のことですが、母方の家系には赤ちゃんのときに亡くなった親族がいます。母からその話を聞いたときは本当に哀しく辛くて。そのときはなぜわたしだけ聞かされることになるのかと感じましたが、いつしか、知らないままでいたよりわたしだけでも知ることが出来て良かったと思えるようになってゆきました。時おり当時のその場所から赤ちゃんを救いだし、身体を洗い、きれいなおべべを着せてあやしながら優しい声で抱き締め、ごめんね、ごめんね、ありがとうね、あなたのことは一時も忘れていないと伝え、それを最初から何度もくりかえしています。これは彼の弔いであり、彼の両親の浄化であり、彼の兄妹の浄化であり、家系の浄化であり、わたしの浄化なのです。
 
戦争で亡くなった方たちには、彼らを一人一人包み込むように大切に接しますが、より敬意を示しより注意深く近くにゆきます。彼らの身体を洗い、傷を治し容姿を整え、心身の苦しみから少しでも開放されるように手を握り、ときには抱きしめさせてもらいます。そうすることを許してくれた魂にはありがとうと言ってみます。近づくことさえ拒絶する魂には、遠くからごめんなさいとひざまずき、からだを臥せるように謝罪します。彼らへわずかに出来る弔いであり、人類の浄化であり、わたしへの深い浄化です。
 
コロナや病気、事故でなくなった魂には、彼らが最も愛する人との再会を手伝い、手を繋げます。さようならと言いながら、それでも別れが辛ければ、いたいだけいて繋がってるといいよと語りかけます。きっとあなたの愛する人があなたとまだ手を繋げていたいのだからと。
 
成仏できない死者の霊も恐れることはありません。わたしは語りかけ対話します。怒りもするし共感もします。ときにはわたしの仕事を手伝ってくれるならと条件を付けわたしのもとにいることを偉そうに許しつつ、ひっそりと感謝します。彼らは霊の世界を伝えて手伝ってくれ、いつのまにか浄化します。
 
すべての浄化は、生きているわたしたちの役目。
浄化されるべき魂たちは、生きているわたしたちを浄化してくれる。その愛にいつも包まれているのがわたしたち。
 
怨念や悔恨などない世界がそこにはあります。優しく思いやり、罪を許し許される世界に意識はいつもあります。現実がそれを揺らがすものに見えていたとしても、わたしたちはその愛の世界に繋がり続けます。
 
今年もまた、愛を感じる一日に感謝です。
 
椋木和美

 

  • 2020年08月15日 22:22 / Comment(0)

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