【メッセージ解説】魂が求める本当の役割へ身を移すとき。
一体、この記事の解説はいつしてくれるんだ?
はい!お待たせいたしました。
本日は、福島県在住の彼女へ送ったスピリチュアルメッセージの解説をさせていただきます。 彼女に向けた解説を揺さぶられ続けているあなたに共有していただき、少しでも変容の後押しになれば喜びです。
彼女の魂に浮いては沈み、沈んでは浮かびあがる”怒り”は、大きな霊力を持つ者の宿命として起きるものです。
霊力を持つ者の”怒り”とは、誰かや何かに対する怒りの感情ということではありません。
それは、自分に与えられた霊的な力を全発揮させることへの渇望をあらわすエネルギーです。
つまりこのメッセージを渡した彼女の魂の怒りとは、【自分に与えられた霊的な力を全発揮する】、それが未だに出来ていない、または本来すべきかたちでなされていない、そう自分自身に感じる怒りであり、憤りなのです。
彼女はこれまで、慎ましく謙虚な姿勢で霊的な力(人柄や愛)を関わる人々へと惜しみなく渡してきています。今もきっと、そう在り続けています。
わたし自身そのような彼女の力を、メールセミナーでメソッドを彼女に送らせていただく立場ではありましたが、関わりを通して何度も何時も意識の中で受け取っています。彼女が自分自身へ向ける厳しさとは違い、彼女が他へ渡す愛や慈しみのエネルギーは、他を信じ、他の尊厳を守るという迷いのない奉仕のかたちとなります。彼女のエネルギーに包まれると大きな安心感に包まれます。それは彼女の人柄となって、関わる人たちに与えられているのだと思うのです。彼女が他者へもたらす安心感で特徴的なのは、ただ応援するという温かさだけではなく、実質的で実利的な、非常に現実的な利益をもたらす協力をしてくれることです。彼女はきっと、向き合う相手に必要以上に深入りしないように努力していると思うのです。それは自他を迷わせ弱らせバランスを崩さないためにそうします。けれども、もし求めてくれたなら、相手の現実を根こそぎ変えるくらいの、良い意味での強引さとお節介な愛を発揮させて問題を解決する人なのです。
わたしは彼女と関わるといつも感じるのです、もし、わたしが何かをしたいと計画したとき、それがわたしひとりでは難しい、誰か協力者が欲しいと感じた時、彼女がそれを手伝ってくれるのではないかと(若干わたしに都合よく)感じてしまうのです。これが彼女が持つ不思議なちからなのです。このように相手に思わせるということは、相手の力だけで何かをしようと考える枠をとって広げてくれますから、相手の力を底上げしてくれることになるのです。相手のスピリチュアルな野心は刺激され、可能性はひろがるでしょう。
そして、ここでも彼女は相手との関係性のバランスを保とうと冷静さを保ちます。わたしは過去に何度か自分のやりたいことを関わる人に伝えたことがあります。『このようなことをしたいとき、手伝ってもらえたら嬉しい』『このように未来に○○をしたいと考えていて、その時一緒に○○をするというのも面白いですね』と。これが数々失敗をしてきました(笑)。このような案を伝えた際に、相手が意識のレベルをがくんと変えてしまったのです。一気に相手の依存と期待と我欲を跳ね上がらせてしまうのです。そのようにならないだろうと感じた人だからそれを伝えたのですが、やはり変わってしまう…、とくに相手の依存があまりにも膨れ上がった場合は距離を置くことになってしまいます。わたしがその一言を言わなければ良かったのでしょうが、それはいずれ互いの問題や関係性としてあぶりだされたものでしょうから必要だったと私は感じています。
(本題から話がそれていますが、ちょっとお付き合いください。)
相手に特別な感情を持ちすぎると、わたしはその関係性や相手の発展を崩してしまうという経験をしたことがあります。わたしの霊的な話を驚くほど理解でき吸収できるという人たちに向き合えば、わたしは手に持っているデータを非常に早く相手に渡すことが出来ます。そうすると次のデータは過去世や未来のデータが現れてきますから、次々予言が出来てしまうでしょう。しかし、それは依存と困惑のはじまりです。この場合でも、距離感がうまくゆけば相手は非常に素早く変容し発展してゆきます。これもまた見てきています。そのようなバランスを保てる人は、発展することに早急に意識と行動が向かいますので、わたしのことを忘れたり、わたしのメッセージで動いたということも忘れてくれます。本来それは、忘れてもらってよいものです。あなたのお陰でなんて思われもしない、言われもしない、それが”わたしたち”の理想的な関係性であり、役割の果たし方なのですから。
それらの失敗の経験は学びとなって、感情移入をしそうになる人に対してはとても注意をしてコントロールするようになりました。思い入れがあったとしてもそれを見せることはなるべくしません。
さて、ここで彼女の話に戻りましょう。彼女は相手との距離感や感情のコントロールがとても上手いのです。凛として佇み、冷静に相手を見て、相手が感情的になりそうになると彼女は逆にどんどん冷静に(意図的に)なってみせるのです。まるで自分の姿を見て真似をしてごらん、そうすると落ち着いて考えられるから、そう言っているかのように情緒のバランスがとれているのです。そうすると相手は冷静に距離をおいて対応されても、突き放された、淋しいと感じることなく自分を冷静にさらけ出せるのです。焦らなくても、彼女は意識の中で自分のことを忘れずにずっと繋がっていてくれて、呼んだらいつでも来てくれて、必要な時に、自分の準備が出来た時に、きっと前向きな努力の方向性を厳しさをもって示してくれるだろうと。
今回もし、彼女が『私にメッセージを…』とわたしに囁かなければ、彼女にこのようなメッセージを渡すことはなかったでしょう。
けれども、そのときの彼女に感じたのは、自分の魂に浮かんでくる“怒り”を自分自身で粉砕しているような抑え込みと、その解放を求める意識の芽生えでした。抑え込みである自制は出逢った時から彼女にあったものですが、これまでの彼女は抑え込むことを良しとしてきたのです。自分が納得して抑えている領域に意見をされても『わたしはそこだけは変えることがないのです!』と頑なまでにストイックに見えていました。彼女自身が、自分の魂に沸き上がる疑念や欲望の気持ちは良からぬものだと諫め、これまでそうしてきたように怒りを粉砕し続け、穏やかな顔をして人々に安心を与え、尽くすと決意していたのです。あなたのいのちがある限りそうしなさい、そうと言って欲しいようにスピリチュアルな存在に求めてきたのです。
けれども、わたしの目には彼女はそのステージをとうに終えているようにしか見えなかったのです。ただ、彼女が頑なまでにそう在りたいのであれば、そこは尊重をし、表面では突かないように(メールセミナー等では)していました。
それが今回は違ったのです。彼女は、自分の在り方のステージが変わっていることを、何度も現実の現象から突き付けられたのでしょう。穏やかに在り続けようとすれば、そこから別の在り方(想い)をイメージするような現象が起きるのです。もう、認めるしかないように。
前置きが長くなりましたが、つまり、彼女の在り方のステージがどう変わってゆくかというと、彼女の本来のベストな在り方である、協力し見守ってきたひとたちを引き上げ、引っ張り上げるために、よりパワフルな在り方を見せつけ、直接的な手助けをする段階にあがるということです。
珍しく彼女が具体的な補足をお望みになったので、より詳細に説明をしましょう。
そのイメージは、これまでのように見守り『仰せの通りに致します』という姿勢や、一歩下がり自分を出さない在り方を変えるということです。
彼女はこれまで、優しく微笑み包み込むように受け入れながらも、相手を、相手の状況を、見て聴いて感じ、そして想うのです。彼女は必ず、何かしら想うのです。その想いとは、単なる印象であったり、主観ではなく、霊的な目を通して感じ取った『かくあるべし』という導きのメッセージです。彼女はこの内側に浮かんでくるメッセージを粉砕し続けてきたのです。
それはわたしの感情的な主観、それは相手の尊厳を傷つけるかもしれない干渉。それは驕り、それは道を踏み外すこと…。
だから彼女は、甘い(と感じる)スピリチュアルな道へ誘われる言葉に、頑なに乗らないのです。
しかし、彼女がスピリチュアルな歩みを進めるとすれば、その沸き上がる想いを伝えるステージに行くしかないのです。
もしも、彼女がその在り方をする道を拒み続ければ、彼女が相手に対して『決してそうあってはならない』と感じる道へと人々は流されてゆき彷徨ってしまうのです。
彼女が隠し持っていながらも見え隠れしていた強さを表出し、凛として道を示しすことを意図して行い、厳しさや圧倒的なリーダーシップを発揮させる。間違っていることは間違っているのだと教える。これが彼女の生かされる道でもあります。
未だ癒されず彷徨う人々は、彼女に求めています。【前向きな努力の方向性を厳しさをもって示してくれる】だろうと。
つまり、霊的なしごとをするために今世生まれているのですから、もっと本格的にやってくださいよ、というお話です。あなたが諦めきれずやりたいと感じ続けてきた仕事を躊躇せずにすればいいのです。それがままならない、それは困難が生じるという記憶があるとすれば、その想いに対する反応の仕方もステージアップさせれば良いだけなのです。『なるようになる…ならないのであれは、役割は閉じるべきなのだ』とただ受け入れることを良しとすれば、沸き上がる才能や望みを粉砕しているということです。
『容易に行かない道ならば、容易にいくよう創り上げてやる!』。2021年からの流れはまさにそれですから。
さらに詳しく言えば、ライフワークとして決めたことや諦めていたことを再開する。それも小さく再開するのではありません。よし決意してやるぞ!と起きかがったことを見せつけるように再開するのです。それを立ち上げてから順調ではなくても、そんなことはどうでも良いようにただ真っ直ぐと明るい未来と力強い生命力を目に宿し続けるのです。
まとめます。うまくゆかない、必要とされない、そのような自分だと思われることに対するプライドを全部捨てます。あなたが必要とされないと嘆き諦めない限り、一人でもあなたにすがり助けを求め救われる人がいるのなら、あなたは凛とその役割を果たしている自分を誇りに思い、尚且つ、気高さを見せつければよいのです。そうして歩めば、最終的に気付くことは、自分が迷い自信がなかったのではなく、多くの仲間が何かをしたいと思いながらも必要とされないのではないかと怖れ立ち上がれなかったのだと気付き、彼らを勇気づけ、立ち上がらせるためにわたしはこの道を歩んだのだと、さらなる役割に気付くことになるでしょう。
福島県にいるあなたにとって、福島の人々の10年間の歩みに寄り添うことは、スピリチュアルな才能を最大限発揮させるということはどう在ることなのかを教えてくれるものであり、答えの出ているあなたはよりあなたらしい大きな力で未来を創ってゆくと決意しているのです。その在り方や意識は、わたしたちを導くちからとなるのです。
いつも、ありがとうございます。
椋木和美
- 2021年03月10日 23:03 /
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