あれから10年。これからわたしたちの本当の歩みが始まります。
東日本大震災から10年。黙とうすると、多くの魂が自身の故郷の周辺(海から自宅)を光の集団となってあちこちに飛んでいる様子をみました。光はとても眩しく、速く、美しい。今後も災害などの怖れがあるのかもしれないと感じるほど、家族を守り、故郷を守り、まるで日本や地球全体を守るように、光は動き何かをしていました。ただ愛する人や愛する故郷に逢いに来ただけではなく、彼らの魂はとても強い意志を持って何かを成し遂げようとしているのです。あれから光りとなった彼らは懸命に、大切なものを守ろうとしてくれているのかもしれません。光でなくては遺せない何かを。亡くなった多くの魂に導かれ続けています。「ご冥福をお祈りいたします。」この言葉を光は十分に受け取ったと伝えてくれます。あまりに次元が高すぎる光なのです。心より感謝致します。今後も、この光の集団が懸命に守ろうとする体験による痛みに、寄り添わせてください。
あれからわたしたちの歩みは正しかったのだろうか。
10年という区切りに改めて、この記憶と教訓を風化させてはならないと誰かに感じさせてしまったことに心は痛みます。
わたしたちは忘れてはならないと、努めなくてはならないのだろうか。
あの日の出来事を、魂までしみ込んだその痛みを、忘れることなどできるだろうか。
忘れるわけはない。忘れることはできない。それを伝えきれず、伝える術が解らないことがもどかしい。
忘れたように見える人たちもきっと、あの記憶を忘れてはいない。きっと忘れたようにいないと、生きることが辛すぎるのだ。
わたしたちの人生に起きる様々な苦難、それによって揺さぶられる感情や意識や行動を、あのときのあらゆる映像が示しているかのよう。あの時の苦しみや破壊はわたしたちの中に起きている苦しみや自己の破壊でもあったのです。あの瞬間のわたしたちはそれを黙ってみることしかできなかったのです。それなのに、溜め込み膨れ上がった無力感は、荒み穢れた、自分を責め続けていた痛みや罪悪感を浄化してくれたのです。
わたしたちはそれを見なければ、自己を浄化し、癒し、気付けないのだろうか。
そして、それからの力強い10年という復興の道のりは、わたしたちの感情や意識や行動が荒れ果てて朽ちそうなっても生きようと立ち上がる見本となっているのです。
わたしたちは、それを見続けさせてもらわなければ、自己を奮い立たせ、目覚めを起こせないのだろうか。
あなたに起きたことに、意味があるのだろうか。
あなたはなぜ、それを経験しなくてはならなかったのだろうか。
その辛さにすべてが寄り添います。
あなたにそれが起きたことを、あなたがそれを抱きしめながら生きていることを、すべてが忘れず覚えています。あなたに寄り添いながら、自分がどう生きればよいかを教えてもらっています。
10年が経ってやっと、これから本格的な寄り添いと分かち合いが始まります。
これからが本番ではないでしょうか。
まだ、災害など試練は続くでしょう。それはわたしたちが本来の姿で、本来の在り方をしていないからです。
わたしたちは本来、分かち合い助け合うことが得意です。
それを忘れてしまうと、わたしたちは発展と変容を止められます。
あなたの魂は、分かち合い助け合うことを強く求めているのです。
わたしたちは、内なる意識を純化させ変容させることで、分かち合いも想いも、伝えたい人に渡すことが出来るのです。
さあ、あなたにとって、分かち合い助け合うという在り方、魂を純化させることとは、一体どんな歩みなのでしょうか。
10年目は、新しい始まりです。
365日が、誰かの決して忘れてはならないことが起きた記念する日です。
誰かのことを想い、これから毎日が自分にとっての分かち合い助け合う道を確認する日となります。
それがあなたという愛に満ちた魂の、エネルギッシュで喜びに満ちた生き方となることでしょう。
椋木和美
- 2021年03月11日 22:35 /
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