あなたという魂の精巧緻密さ、そしてそれによる苦悩。②

前回のあなたという魂の精巧緻密さ、そしてそれによる苦悩。①の続きです。

 彼女にメッセージを降ろしながら彼女の前世が視えたとき、その姿には胸を締め付けられました。彼女は前世、愛を与えてもらえず教養を身につけられず、道徳心を学ぶことのできなかった子どもたちに献身的に愛を渡しています。どんなに乱暴に反発をされ罵られ裏切られても、彼女の彼らに対する愛や向き合いには揺れる気持ちはないのです。そればかりか、何故、彼らがそのような言動をとらなければならいかを、相手の瞳の奥に隠されているエネルギーや記憶から察してあげるのです。

『彼らに罪があるのではない、彼らに罪があるのではない。許したまえ。彼らの罪を許したまえ…』そのように、自身に向けられた裏切りの行為を彼女は何度でも許し、彼らに愛と豊かさが注がれることを祈り続けたのです。

 しかし、そんな彼女がいつまでも、追い剥ぎに合うように、愛を渡し助けた彼らに奪い取られ虐げられているのです。あんまりではありませんか…。

 このような経験を繰り返しながらも、彼女がずっと愛を渡し導く魂であり続けたことは、彼女の魂に記憶されているのです。彼女は、この在り方の終え方が解らないのです。愛を渡し自分を生かす、その在り方のステージを変える方法が解らないのです。あれほどまでに他者に対し智慧を働かせ様々なことに試みてきた彼女であるはずなのに、自分のことになると、さっぱり智慧は働かないのです。愛と智慧は他者に、恵まれない者たちに注がれるべきと思っているからなのでしょうか。

 彼女にはそのような前世の経緯があるとして、メッセージを受け取った後の彼女の言葉を一緒に聞いてほしいのです。

 

椋木和美様
 
お返事レターありがとうございました。
泣きながら何度も読み返してました。
そうなんです。
利用して感謝もせず当たり前のように振舞っている人間どもが憎らしいのです。
そのくせ嫌だと訴えれば私が間違っていると責められ、我儘だとか我慢が足りないだとか言われる事に辟易しています。
 
そのあり方をやめたいのです。
普通に穏やかに過ごしていたいのです。
 
 
和美さんはどんなに嫌っても本当に嫌ったり憎んだりする事は一度もないと書いてくれましたが、
今は周りの人が憎くてたまらないです。
嫌いでたまりません。
そうする事で嫌われる事が悲しくて苦しいです。
この堂々巡りな人生にウンザリしています。
 
私は嫌いな人に囲まれる人生からは逃れられないのでしょうか?
この先浄化が進めば終わりが来るのでしょうか?
 
やはり私は愛する人達と楽しく生きていきたいですが、利用目的ではなく私を理解して愛する人というのは存在しないのでしょうか?
 
 
疑問ばかりになってしまいましたがその疑問を学ぶことが今回の人生の課題なのかもしれませんね。
 
この度はお忙しい中ありがとうございました。
何度も読んで噛み砕いて浄化したいと思います。
そしてどなたかのお役に立てるのならぜひブログで共有してください。
また何かお願いするかもしれませんがその時はどうぞよろしくお願いいたします。
 

 彼女の魂の叫びは、あなたにはどう映るのでしょうか。きっと彼女に深く共感する魂がここにはたくさん集まってくれていると思います。

 わたしには、彼女の叫びのすべてが愛に満ちており、愛おしく映ります。抱きしめ『あなたはなにも悪くはない。その想いもまた”あなた”を創るのです。あなたはそこから真実を見つけられる。』そう頭を撫でてあげたくなります。真摯に学び挑み続け、力尽きたように思える言葉のなかにも、彼女のなかには彼らへの愛と責任を感じ取るのです。これほどまでに彼らに虐げられても、彼らへの愛と責任を捨てきれない。彼女はそれに苦悩しているのです。

 ここで吐露した彼女の怒りは、決して、自分のことだけを考え奪い取ることしかできない彼らへの侮蔑ではありません。彼らを、自分のことしか見えないばかなやつら!だと懸命に思おうとしている姿でもあり、それは、彼らに違う愛の渡し方をしなくてはならないと思う自分自身への戒めでもあります。つまりは、自分自身の魂の未熟さゆえに与え方を間違え、彼らをそのような姿にしたのだという自責の念でもあるのです。彼女は、双方の魂に仕組まれた学びへの怒りを神に嘆き、ようやくそれを神にぶつけ、そしてその解決(経験を手放す)の方法を知りたいと教えを乞うているのです。

 それは、双方の救いは何か、それを知りたいという切なる想いです。彼女は希望を感じたいのです。神を信じたいのです。

 前世で求めるのは神ですが、きっと今世の彼女にとって神とは自分自身であり、また、自分自身を真に理解してくれる同じ経験をしている仲間となるでしょう。

 

(『なぜわたしたちはこんなにも苦悩させられるのか、なぜわたしたちはこれほど苦悩を経験しながらも、互いに救われないのか。せめて一方にでも救い(成長)があればわたしたちはそこに光りを見ることができるのに。あなたは本当に神なのか。』)

 前世で叫びたかった声が聞こえるようです。

 

 彼女の訴えである

私は嫌いな人に囲まれる人生からは逃れられないのでしょうか?

この先浄化が進めば終わりが来るのでしょうか?

やはり私は愛する人達と楽しく生きていきたいですが、利用目的ではなく私を理解して愛する人というのは存在しないのでしょうか? 

このことについて、一緒に考えてみたいと思います。

 (続く)

 

椋木和美

 
 
  • 2021年06月30日 22:20 / Comment(0)

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