オリンピック、パラリンピック、コロナ、災害、大転換。
どんなに清らかな気持ちで祈り、厳かな気持ちで平和について考える人々がいたとしても、首相はすべきことはせず、”ただ読むだけ”さえもできず重要なところを読み飛ばし、トイレを理由に遅刻もしちゃう。非を認めないひとたちは涼しげな顔で苦しむひとたちの心を平気で踏みにじる、 いや待てそういう自分も 誰かにとってのそういう存在になってはいないかと気づくとゾッとする 。いつまでわたしたちはこのようなことを繰り返さなくてはならないのでしょうか。
大丈夫です、そのようなことも、神や神聖なる存在にただ祈り続ければいいのだと謳うスピリチュアルなお仕事をしている方たちには、まだまだ足りませんよ、もっと頑張ってくださいよ!とも言いたくなるではありませんか。この状況さえも浄化による膿だしなのですよと言いくるめられそうになって、どうやら彼らが”膿だし”と都合よく呼ぶものは、これまた彼らに都合よく、永遠になくならないのだと気付かされてゆくのではないでしょうか。
さすがにこれなら嘘や詐欺や紛い物だと気付くでしょうと思われるようなことを示されていても、言われるがままに信じる。未だにそれは自分の才能も人生の時間も失ってゆくことだと気付かない人たちを見て、そんな彼らに神頼みだけでは補いきれない感情をぶつけられると、スピリチュアルな仕事をしているわたしも、いい加減、この仕事を辞める時が来ましたか、 関わり方を変える時が来ましたか と自分に問いかけてみるような心境にさせられてしまうのです。なんなら、似非スピリチュアルをやっつける側にまわりましょうかと考えたくもなるのですから、スピリチュアルなものを信頼し辛抱強く真面目に歩んでこられた方々は、さぞかし困惑していらっしゃるのではないかと思います。いやいや、そんなにみなさん軟でもないかと思いつつ、 スピリチュアル な道を歩んでいるわたしとしましては、これからどう歩みを進めてゆくべきか これまでになく真剣に考えています。
さて、わたしたちはどうあるべきか。
どうにもこうにも、 自分のことしか考えられない 無責任で厚顔無恥な人々を見させられるたびに穏やかにいようとすれば、”まともな”人間のほうが病んでしまいそうになる世の中であります。楽しく(若しくは楽しそうに)生きるには、本当に技やパワーが必要であります。
今後、いま目にしている様々な問題はそう簡単には収まりはしませんし、問題が大きく膨れ上がるところがたくさん出てきます。
そのことは、わたしたちにとって大きなストレスになるでしょう。けれども、このストレスがもたらす利益は様々にあるのです。
☆自分が何にストレスを強く感じるかが解ると同時に、その弱さを知ることができる。
☆自分がどのようなストレスに強いかが解ると同時に、その強さを知ることができる。
☆考えなかったことを考えるようになる。
☆自分の価値観を知ることができる。
☆自分が人生に何を望んでいるのかを考えるきっかけになる。
☆人生を思い通りにするために何の準備が万全ではないかに気付くことができる。
☆自分に必要なストレスの発散の方法を見つけられる。
等々です。
つまり、一旦落ち込んだり感情的になったとしても、自分の弱点がよーくわかり対策も見えやすいということです。
これは最大のメリットなのです!
なんたって、”あなたの弱点はここですよ”、”つまりね、ここだけ早急に変えてゆけばあなたは整うの!”と示してもらえるのです。実は至れり尽くせりなのです。しかも、自分で大きく自覚せずにはおられない状況を抱えることも、これまで以上に動かされるために重要なのです。
これらによって、わたしたちは、自分がどう生きたいのか、どう生きれば生かされるのかに気付かされるのです。それはそのまま個々の才能発揮となり、より良い人生へと歩みを変えることとなります。
これから人類の膿だしとして起きることは、災害、人災、犯罪。そして一番は、人々の深く長い、精神的、情緒的、感情的なダメージによる様々な問題(病気、依存症、争い、自殺などの増加、犠牲、堕落)です。これらがスピリチュアルな視点でも危険だと感じるのは、そのダメージによって、わたしたちの全体意識が著しく淀むからです。全世界同時に起きる災難は、わたしたちの意識を大きく変容させています。悪魔と天使と神と虚無が混ざり合うような混乱、全体意識は縮小するかのように低下し停滞し、閉鎖的で閉塞感を伴い、膿や穢れは行き場をなくし流れ続け消えることもない。数少ない覚醒者の光の浄化では追い付かないほどに濁っています。この淀みのダメージをさほど受けない人々もいます。コロナワクチンの副作用がそうであるように、個人差を生んでしまうのです。最もダメージを受けるのは、繊細で敏感な魂、全体意識と深く繋がっているスピリチュアルな力を持つ魂、スピリチュアルな意識を高めた魂。わたしたちの意識を怖ろしく混乱させ、浸食してしまうのです。スピリチュアルな意識や役割を持つ魂は、きっと、いま悶々と、欝々と、ふらふらになりながらかろうじて光を確かめていることでしょう。図太い魂に、「自分たちは特別だと言いたいのか」などと思われ戯言だといわれようが、スピリチュアルな感受性を持つあなたは、全体意識の淀みを避けることなく浴び続け、吸い取り続け、自らの心身を浄化装置にしてしまっているのです。ここについては、セミナーやカウンセリングで個々にお伝えていますので割愛させていただきます。 ただ、やはりより多くのかたに概要だけでもお伝えすべきと思い綴っています。
では、わたしたちは何をすべきなのか、ですよね。
まずは、目を背けないこと。ですが、一定数の人たちはそれが出来ません。どうにかこうにか(若しくは平然と)目をそらして逃げ切ろうとします。ここを杞憂しても仕方がありません。何の意味もありません。彼らには問題と向き合うという魂の経験値やエネルギーが足りないのです。そこはほれ、問題と向き合い対処するのが得意な”あなた”が補うのです。何度も伝えますように、わたしたちは敵ではないのですから。彼らの代わりに問題と向き合い対処することで解決へと導く(導ける)のです。それが出来ない人たちは、この深刻さと憂いを持っている魂の深刻過ぎるというナーバスな波動をフォローするために、楽観的で良くも悪くも無責任でいてくれるのです。あなたはここで意味なく周りに吠えるだけではなく、同時に、”自分”の、”自分だけの”、ずっとしたかった役割を探さなくてはなりません。はい、それは、例えあなたが個人的に喜び満たされる役割であるようにみえても、人類のためになります。目を背けない、そこから考えた出した答えは、”わたしたち”の【かくあるべし!】と示したい愛なのです。
問題と向き合い悶絶しながら全体のために考える。これが、他への犠牲的な貢献と考える癖は、ここで捨ててください。その認識のままでは、これからの歩みでは心身を病んでしまいます。あなたが問題と向き合い悶絶しながら全体のために考えることは、つまり、あなた自身の強烈な意識改革、行動変容、つまり、あなたが生かされ幸せになり、才能を発揮させて喜びに満ちるということだと認識を大きく変えてください。
繰り返しお伝えします。
目の前に、どのような問題が起きたとしても、感情的にならないこと。自分を信じてください。失ったものはあなたの歴史に残り、あなたを導き続けてくれます。
オリンピックを皮切りに(オリンピック後に加速して)、コロナ禍であろうが容赦なく問題は噴出しはじめ、わたしたちの間違いを指摘され、修正させられます。結果的には、意識と行動の大転換が起きます。
お知らせ(大問題)を小さくさせるには、小さな問題の時点で気付くこと、つまり、嫌なことから目を背けないこと。そして、問題を解決させるために行動(意識)を変えること。
つまり、強制的に手痛く転換させられる前に、まずは問題を目にするたびにわたしたちが、冷静になってゆけばよいのです。
あなたももう経験済みですから知っているはずです。焦っても問題は良い方向にはいかないこと、そして、冷静になっても問題は悪化しないこと、これだけは確定しています。
繊細で敏感で愛に満ちたあなたが、力強く生まれ変わるために、すべての現象は起きます。
椋木和美
- 2021年08月14日 12:44 /
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